ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« その授業が上手くいかないのは当然である | トップページ | 国家の成熟化と公教育の役割 »

AKB48に学ぶ商品開発と新しい学校づくり

 日経BPヒット総合研究所上席研究員の品田さんは,現代のヒット作りのヒントとして次の3つを挙げている。

1 「所有」から「参加」へ

2 「いつも」から「今だけ」へ

3 「誰にでも」から「私だけ」へ

 インターネットで音楽が手に入る時代に,AKB48はCD販売の新記録をつくった。

 日本を世界一CDが売れる国にしたのは,AKB48の功績だという。

 CDには,

1 握手会へ「参加」できる

2 「今」購入すると,特典が付く

3 買った「私だけ」が総選挙に投票できる(1 「参加」できる)

 という3つの付加価値がついており,これが大ヒット商品になった理由だという。

 では,ここから企業の人々は,どんなことを学んで,「新しい価値」づくりに励むのだろう。

 小学校には,何人かの「カリスマ教師」がいる(いた)。

 もちろん自称しているわけではないが,大勢の参観者を招いて「芸」を披露している。

 こういう「教師」を商品にしたい人たちは,人寄せと書籍販売のために,知恵をしぼっていることだろう。

 商売道具とされた「子ども」たちが,どのように歪んでいくかは今日のテーマではない。

 「売り方」で「売れる量」が左右される市場経済の世界と,公立学校の運営など,全くかかわりがないだろうと思われるのが当然だろうが,だからこそ考える価値がある。

 AKB48や「カリスマ教師」たちのように,

 「商品」としての魅力があるわけでもない,

 どこにでもある学校やどこにでもいる教師たちが学べることはあるのだろうか。

 そもそもAKB48そのものの「商品」としての価値の源泉がどこにあるか。

 メンバーひとりひとりの魅力だろうか。

 それならみんなソロになって,別々に活躍できるはずである。

 AKB48の価値を支えているものは,「競争」と「規律」であるというのが私の考えである。

 今や「総選挙」と聞いてピンとくる言葉は,衆議院議員選挙だけではなくなった。

 「じゃんけん大会」がニュースになる時代になった。

 企業は,商品をとりあえず生産して,市場の判断にまかせ,不人気なら生産をやめる,ということを繰り返している。

 こういう無駄を選択する方が,調査費や研究費,広告費を増やすより安上がりだからいいらしい。

 「使い捨ての時代」である。

 AKBは,それが「市場に出る前」に行われている。

 これが「売れるべくして売る」しくみのもとになったというのが私の考えである。

 公立学校はそもそも,生徒たちが「集まるべくして集まる」ような存在でなければならない。

 それを支えるのは,やはり「競争」と「規律」である。

 ともに,AKBと同じように「組織内部」において機能すべきものでなければならない。

 そろそろ,学校評価の原案が出される時期である。

 「例年通り」という「悪習」から脱皮できるかどうかは,

1 教師ひとりひとりが教育課程の編成にどう「参加」できているか

2 「いつも」やっている当たり前のことだけでなく,「今」やると最も効果的なものは何かを考える

3 「誰にでも」できる当たり前のことだけでなく,「私だけ」ができる何かをPRする環境を整える

 この3点にかかっていると思われる。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« その授業が上手くいかないのは当然である | トップページ | 国家の成熟化と公教育の役割 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: AKB48に学ぶ商品開発と新しい学校づくり:

« その授業が上手くいかないのは当然である | トップページ | 国家の成熟化と公教育の役割 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より