ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 学力調査の分析(東京都教育委員会)を一歩進めて | トップページ | 粘着質のいじめの見本 »

「ほこたて」と「表示と異なる食材の料理」との違い

 「ほこたて」はドキュメンタリー番組だったのだろうか?

 私の家族にとっては,「やらせ」など当然あるものだと思って視聴していた

 「バラエティー番組」だった。

 私も大学生時代,このような番組に出演したことがあるが,

 「やらせだ,ひどい」という意識よりも,

 「こうやって番組はつくるんだ」という発見というか納得ができた体験だった。

 何も目くじらを立てて,「真実とは異なる!」なんて騒ぎ立てるような問題だとは思わない。

 テレビの番組作りよりも,もっと重要な問題はいくらでもあるだろう。

 「ほこたて」勝負などは,偶然のいたずらであっけなく勝負がついてしまう場合もある。

 それではバラエティー番組として成立しない。

 やり直し,撮り直しなどは当然のごとくあったのだろうと想像する。

 こんな情報しか流さない

 ニュース番組の方が,よほど問題である。

 もっと重要な問題は社会には山積しているのだ。

 一方の,「表示と異なる食材の提供」問題については,

 「だまされた」と憤る人の気持ちはわかる。

 ただ,私はこんな人たちもいると考えている。

 「この値段で,さすがにこれは本物ではないだろう。でも,本物を味わっている気分で食べさせてもらおう」

 こういう話は,探せばいくらでもあるはずだ。

 提供する側と客が暗黙の了解のなかで,成立している。

 ここに,事情を呑み込めない人が入ってくれは,「話が違う!」と怒るのは当然のことである。

 おそらく今まで偽物を食べさせてきたところは,

 「阿吽の呼吸」を信じられる「ムラ社会」の人間たちだったのだろう。

 「偽物」を食べた人に返金するという。

 どれくらいの人が,返金を請求するのだろう。

 その場で本当に食べたのかどうかは,どうやって判断するのだろう。

 こんな意見を書けば,当然批判もあるに違いない。

 私の興味関心は,教育の問題に偏りすぎている。

 私の懸念は,教育現場で,これから,「偽物」の類がますます増えていくことである。

 「偽物」が見抜ける力を養うには,何世代もかかるのが,教育問題の難しさである。 


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ  

« 学力調査の分析(東京都教育委員会)を一歩進めて | トップページ | 粘着質のいじめの見本 »

教育」カテゴリの記事

ニュースより」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学校評価」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

道徳」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「ほこたて」と「表示と異なる食材の料理」との違い:

« 学力調査の分析(東京都教育委員会)を一歩進めて | トップページ | 粘着質のいじめの見本 »

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より