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« 教材研究のしかた ~手抜き教師にとって都合の良い理屈に注意~ | トップページ | 教育委員会にいたらできなかったこと »

教育委員会にいたときにやりたかったこと

 私がしていた指導主事の仕事は,現場の教師だった人間がすることですから,

 行政のなかで「現場感覚が生かせる」ことに意義があるはずだと考えていたのですが,

 実際に自分の勤務校ではない学校を訪れるようになってからは,

 そもそも「多くの現場に現場感覚がない」ことに気づかされてショックでした。

 保護者の声,社会の声が,学校現場にほとんど届いていない。

 それは,「子どもが人質にとられているからだ」というのも,ショッキングな理由でした。

 言いたいことも言えない。

 言うと「モンスター扱い」される。

 そこで私が思ったことは,

 教育委員会の立場で(指導主事として)学校を訪問し,授業を参観したり,管理職や教師たちと話をする,ということも大事なのですが,

 それよりも子どもや保護者と直接話をする,

 こっちの方が大事ではないか?ということです。

 議員さんだけの仕事ではない。

 行政に身をおく人間も,役所にこもっていないで,もっと社会に出ていくべきだ,という思いが育っていきました。

 たとえば,「少人数指導」は効果が上がっているのか,ないのか。

 私の子どもが通っていた小学校では,問題発言が多く,保護者の大反対で担任をおろされた教師が,算数の少人数指導にかかわっており,それが隠されていた(他の学年の保護者には知らされていなかった)こともありました。少人数指導の担当になっても,課題は変わらない,とのこと。

 これは特殊な例ですが,「少人数指導をすれば効果が上がる」とは言い切れないことを実証できる可能性があったのです。

 しかし,教育委員会内のムードとしては,「効果がない」とは言いにくい,という感じでした。

 何しろ,税金で余計な人件費をつけてもらっているわけですから。

 校長の勤務実績については,一番遠慮なく言ってくれそうな教師に聞く,

 教師の勤務態度は,教師たちからの信頼が一番あつい教師に聞く・・・・などなど。

 そういう教師は,研修で短時間のグループワークをするだけでわかってしまうものです。

 「本人から直接聞くだけでは,実態はつかめない」という思いから,

 360度評価の必要性を訴える論文を書いて試験に合格した立場からは,

 いろいろ提案ができたかもしれないのですが・・・・3年で退職してしまったので,ただの願望で終わってしまいました。
 
 形骸化した学校訪問の意味のなさに,ちゃんと議会が気づくところも出始めたようですね。

 もし私がまだ教育委員会にいたら,学校現場からは嫌がられるかもしれませんが,直接「保護者の声が聴ける」仕組みをつくりたいですね。PTAは管理職などと一体化しているのでダメです。

 でも,そういう役割の人が「スパイ」などと呼ばれて子どもがいじめられるのを想像したら,もう何も書けなくなりました。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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    「楽毅」第二巻より
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