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「気分」「ノリ」で集団を動かす教師の罪

 小学校から中学校に進学するときに,

 子どもに自覚しておいてほしいことがある。

 それは,「小学生のころはなんて子どもだったんだ」ということ。

 小学校の教師たちのなかには,

 胡散臭い本やたまたま見学した「有名人」の教師の影響を受けて,

 「子どもを動かす」ために,学習内容とは全く関係のない「儀式」を行うことがある。

 それによって,子どもの「気分」が高揚し,「ノリ」がよくなる,というものである。

 早い話が,「豚も煽てりゃ木に登る」ということ。

 「楽しい」とか「おもしろい」とかいう感想を引き出すために,

 余計なことに時間を費やしている,という「気づき」は,

 2割くらいの「まともな小学生」はその場でできていながら,

 反抗できずに「おつきあい」している。

 逆の2割くらいの「困った小学生」は,中学生になっても

 何の進歩もなく,仕舞には自分なりの「気分」や「ノリ」に従って

 いじめはする,問題行動は起こす,という結果になる。

 中学生には,「ごまかし」はきかない。

 ごく一部に,中学生にも上述の小学生向けの「儀式」を行う教師が見られるが,

 「まともな中学生」はもう5割くらいに達しているから,その効果は

 むしろマイナスに働くことの方が多い。

 「学習」と「遊び」の区別がつかない小学生や中学生は,どうやって見分けをつけるか。

 簡単な質問をすればよい。

 「楽しかったですか」「おもしろかったですか」という質問には何の意味もない。

 「何がどのように楽しかったですか,おもしろかったですか」と聞く。

 そうすると,学習目標とは全く異なること・・・たとえば「班で話し合ったこと」などと答える子どもが出てくる。

 これが,「気分」「ノリ」で子どもを動かす教師の罪である。


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コメント

目くそ、鼻くそ。教師同士で罪を擦り付け合っているようなもの。どちらも常識欠損人種に過ぎない、子供しか相手にできないものたち。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より