「間違い」「ケアレスミス」に寛容な日本
私の高校時代の担任との初体面の場面は今でもよく覚えている。
お名前を板書され,「年賀状の宛先の字を間違える生徒がいる」ことに立腹されていた。
だから,その担任に手紙を書くときは,注意力をいつもの倍にして書いていた。
安倍総理が東電への視察の際,「安部」と誤記された件について,
中国の人々が興味深い反応をしてくれている。
「某国なら大変なことだ」
「某国」がどこか,言うまでもない。
現場での安倍総理の反応がどうだったのかは知らないが,
おそらく日本では「ああ,間違えちゃったのね」で終わりであろう。
何しろ,国名の呼び方が「ニッポン」でも「ニホン」でも,どっちでもいいですよ,という国である。
こういう「あいまいさ」が,一方では「ゆとり」「余裕」「寛容」の表れであり,
他方では「いい加減さ」の象徴となる。
私は自分の学校のテストで,「漢字の間違い」には寛容である。
あくまでも社会科のテストであって,国語の漢字テストではないからだ。
もちろん,間違うべきではない漢字もある。
そう書いてしまうと,意味が全く異なってしまう,という類はそれに当たる。
「きちんと正確に。失礼のないように」という配慮は,とても大切である。
しかし,それを気にしすぎて,「何も書けなくなる」のはもったいない。
私の娘の名前の漢字を,幼稚園の先生も小学校の担任教師も誤記したことはかつてここでも紹介した。
文句を言ったことはないが,わざとらしく間違った漢字を大きく書いてみたことはある。
東電に関しては,漢字の間違いよりも,大事な「間違ってはいけない仕事」がある。
こっちに全神経を使ってほしい。
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