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中学生にはだまされないと思う「思い上がり」

 中学生はまだ子どもだから・・・となめてかかっている教師は,自分があっさりだまされている事実を認めたがりません。

 中学生は,「いじめの気配」を瞬時に消す能力を持っています。

 いじめが起こることを知っていて,その場に行けば,そういう事実を目の当たりにすることができるのです。

 いじめの複雑な構造は,そのままお蔵入りになることもあるし,十年以上たってから明らかになることもあります。

 自分がいじめられていたことに気づかない教師というのは,ある意味,幸せなもの。

 いじめ自殺が問題化する以前から,いじめを問題として学級で取り組んでいた教師はたくさんいたはずです。

 もう何十年たつでしょうか。

 教育は,本当に難しい取り組みです。

 教師だからできる,というのは単なる思い上がり。

 教員採用試験に合格して,正規に採用されたんだから,できる,なんていうのはただの無知。

 子どもから学ぶしかないのです。

 子どもは,簡単には教えてくれません。

 学ぶしかないのです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より