ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 操作主義を一掃せよ! | トップページ | 見苦しさの極致だった 『半沢直樹』の最終回 »

時代に乗ったつもりで「人間のつながり」を破壊するな!

 何か新しいものを利用し始めると,

 まだ利用していない人間を「遅れている」とけなしたくなる「おのぼりさん」がたくさんいる。

 最近,メールで部活動の連絡を流す中学生が増えている。

 一斉送信ができて,簡単だから。

 しかし,学校では,これを認めていない。電話連絡網を作らせて,こっちを利用するように指導している。

 メールができない中学生もいるし,そもそも学校には携帯電話を持ち込ませないようにしているからだ。

 「メールをしないやつは他人に迷惑をかけている」なんていう評価を下す人間は,人間としての決定的なものが欠けてしまっていると考えていい。

 大人の世界も同様である。

 「携帯電話はもたないし,インターネットも利用しない」

 という生き方は,十分に成立する。

 通信費にかかる1万円を,読書に使ったら・・・積み立てて旅行に使ったら・・・・。

 そういう生き方をしている人を,「仲間として認めない」ような人間がいるグループは,ビジネスとしてならわかるが,趣味のグループなら人間としてどうかしている。

 人と人とのつながりが,「メールをしないから迷惑な奴だ」と評価するような人間によって,壊されていくのである。

 「メールをしない」人間が「つながり」を壊すのではない。

 「メールをしない人間を迷惑と思う人間」が人と人との「つながり」を壊すのである。

 電話連絡をしてあげればよいのだ。

 昔はみんなそうだった。

 いろいろと気をつかった。

 何時ころかけるか。

 本人以外が電話に出たら,どんな言葉づかいをするか。

 留守だったらどんなふうにメッセージを残すか。

 ・・・・電話連絡をしていたころは,みんなコミュニケーションのために「頭を使っていた」のである。

 それが,「どうしてあいつはメールをしないのだ」なんていう言い方をする人間がでてくるから,

 「人間のつながりを壊すのは,・・・・なんだ」という印象がより強くなっていく。

 LINEの問題が今後,どれだけ深刻なものになっていくか,

 教育現場にいる人間なら容易に想像がつくだろう。

 人間のつながりを壊していくのは,人間である。

 コミュニケーションツールに罪はない。

 人間が罪を背負っているのである。


にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へ

« 操作主義を一掃せよ! | トップページ | 見苦しさの極致だった 『半沢直樹』の最終回 »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

ICT教育」カテゴリの記事

コメント

追記・

マジョリティが飛び付くからといって、自分の心と頭で判断することができずにツールに飛び付く。
学校には行かなきゃいけないもの、と洗脳されている自分の心と頭で判断できなくなっているマジョリティと同じ構図。
既に劣化した学校制度というツールに、ただ飛び付いているのは、ライン依存と同じ。学校依存症である。

いじめを隠蔽し、保身のために教師たちがいじめられた側の子供を嘘つきに仕立て上げるような小学校を捨ててホームスクーリングのまま、不登校のまま、小学校の課程を終えて証書は私が手作りした。地域エゴPTAの嫌がらせもひどく、適応障害だなどと勝手な噂を流されたので受験して私学の中学校に入った。携帯電話持ち込み禁止の校則があるが、許可制。嫌がらせやストーキングに近いこともあったので、許可をとったが、娘本人が本来の校則を守るべきだ、と許可をとっても持たなかった。一方で有名無実な校則のもと、過半数を遥かに超える生徒が携帯電話を持ち込み、校内で使用し、クラスごとにラインがある始末。有名無実の校則を素直なおとなしい子供にだけ押しつけ、暴れる子供は抑えられずに猫なで声、というのはどこの教育関係者にも共通した卑劣さのようで。
自転車旅行で行く先々で知り合った人たちとは手紙のやり取りができていて、明日も顔をあわせる人間と、メールのやり取り、ラインなど、バカにしきっている。よかった、そっち側の生き物にならなくて。
それにしても、迎合しか覚えない、百害あって一利なしの学校制度。
「学校なんていらない」
http://plaza.rakuten.co.jp/nennenosshan/

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 時代に乗ったつもりで「人間のつながり」を破壊するな!:

« 操作主義を一掃せよ! | トップページ | 見苦しさの極致だった 『半沢直樹』の最終回 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より