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いじめをつくり出す教師の「空気感」

 まだちょっとブログを書いている暇はないのですが,

 「また始まった」という記事があったので,記録を残しておこうと思います。

 いじめを起こすもとになるのは,「この空気,気に入らない」というような,「異物を排除しよう」とする心の動きです。

 「居心地のよい空間にしよう」とする,身勝手な「性癖」です。

 小学生や中学生のいじめには,気に入らない生徒を学級委員にしていじめてしまうというものもあります。

 これだけ単純な図式が見えない教師がいたんですね。

 「社会」という翻訳語をあてた,ソーシャルという言葉と,

 「共同体」という翻訳語をあてている,コミュニティと言葉の違いが分かっていない人間が日本では教師をしているのです。

 というより,教師は「共同体」を作りたがる傾向のある人が多いようです。

 「社会」で生きていくのが苦手な人が,集まってくる職業と言えるのかもしれません。


 今日は,毎年,授業参観に来てくれる大学3年生と話をする機会がありましたが,

 いろいろなところで「ゆとり世代」「低学力世代」と呼ばれ,自信を失いかけているのか,

 やたらと「知識の量」を気にしている様子が見受けられました。

 
 今や,「知識量」で勝負できる時代ではないのに,どうも学科試験をクリアする自信のない人にとっては,よほどのプレッシャーのようです。

 「知識量」に関することしか表現できないブログを読めば,

 「これじゃ意味ない」ということが分かるでしょう。

 「見えている」のに,「全く見えていない」教師の典型がよく分かるブログをよろしければ秘密でご紹介いたします。 

 

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より