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いいのこすこと-5 二山の成績分布がクラスの「まとまり」に与える影響

 「テストだけで成績が決まるわけではない」とはいいながら,

 「テストの得点」と「評定=成績」の間にはそれなりの相関がありますから,

 テストの得点が二山ある場合は,「できる方の生徒」と「できない方の生徒」が

 はっきりと分かれている学級であるということになります。

 私の経験では,数学でこのような分布が見られることがあります。

 「できる子はできるが,できない子はできない」とはっきりしている。

 どこにその原因があるか,「小中連携」では明らかになっていますか?

 ・・・・ところで,「成績の二山」は,すべての教科で起こり得るものなのでしょうか。

 もし,すべての教科でそれが当たり前のように起こっている状況では,

 「習熟度別・少人数学習集団」の編成が効果的になる場合がありますが,

 実際のところ,それほど極端な「2グループ」「3グループ」はできにくいのが一般的です。

 

 まだお子さんが小さい方が,何十年か前のことばかり書かれているブログを読むと不安になられるかもしれないので,私のここ20数年来の経験で申し上げますと,


 「クラスのまとまり」と「成績の分布状況」に相関関係はありません。

 つまり,成績がいい生徒と悪い生徒に分かれてしまっているようなクラスで,

 「まとまりがない」という状況は,逆に生じにくいとも言えるのです。

 いろいろ,想像力を働かせてみると,その理由に気づかれるかもしれません。

 要は,クラスのリーダー次第,学年主任や学級担任の経営能力次第,ということです。

クラスの「まとまり」といっても,それがいい意味で発揮できる場面と,

 決してよくない「まとまり」もあるわけですから,

 「まとまっていないといけない」というのも一面的な子ども観,教育観です。

 

 ごくごくまれに,二つの小学校から一つの中学校に進学してくる子どもたちが,

 小学校のグループに分かれて対立する,なんてことが起こることはあり得ます。

 そして,荒れ放題だった片方の小学校の生徒が軒並み低学力だったりすると,なおさらに。

 
 クラスのまとまり,というのは,だれでも小中学校時代を思い起こせばわかるように,

 「成績」とはあまり関係がないのです。


 しかし,担任教師などが「先入観」「固定観念」にとらわれて,

 「二山あるクラスは,まとまりがない印象がある」なんて思い込んでいると,

 実際にそのようになってしまう,というのが中学校の学級というものです。


 言っている通り,思っている通りの学級になっていく。


 二山がある学級を受け持って,「チャンスだ」と思えるような教師が,

 「指導力のある教師」だろうと思われます。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
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    「楽毅」第四巻より
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