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「大人の言葉」と「大人の社会の言葉」

 「大人の言葉」を,もう少し詳しく説明すればよかったと後悔している。

 私が使っている「大人の言葉」という「言葉」のなかには,

 「大人の世界の言葉」「大人の社会の言葉」という意味が多分に含まれていた。

 社会科などは特にそうだが,歴史的な分野になると,

 一般的な子ども社会のなかではまず耳にすることがない「大人の社会の言葉」が

 たくさん登場する。

 学術的な用語も,増えてくる。

 こういう「大人の社会の言葉」に適応できない子どもが,

 「社会が苦手」「社会が嫌い」になっていく。

 「研究」の面白さを語ることができない教師自身に,

 「難しい用語」への嫌悪感がにじみだしているのだろう。

 「難しい用語」は「理解させるのが難しい」というのは,

 ただの思い込みである。

 それよりも,「分かったような説明」で「分からせる」くせはやめにしてほしい。

 「参勤交代はどのような目的で始まったのか」

 という問いを中学生にぶつけると,たいてい,誤った答えが返ってくる。

 だから,「大名」の立場から答えなさい,という条件をつける。

 そうすると,答えることができなくなる。

 そこで,武家諸法度の寛永令を読ませる。

 こんな調子で,「分かったような気になっていること」がたくさんある一方で,

 小学校時代に,本当に考える価値があることには,

 ほとんどふれてこなかったのではないか,という中学生が見受けられる。

 「子どもだから,別にいいのではないか」という人がいるかもしれないが,

 それなら大人である教師は学校に必要がなくなる。

 授業で小学校の担任の教師がどの程度の「語彙」を駆使していたかによって,

 中学生の「聞く力」はもちろん,「読む力」もかなり規定されてしまう。

 「聞く力」の乏しい子どもは,「読む力」も乏しい。

 「読む力」の乏しい子は,「考える力」も乏しい。

 「考える力」とは,「思いつき」をべらべらと話す力ではない。

 根拠を挙げて,何がどうして何であるかを説明することができる力のことである。

 それを何百パーセントか,補ってくれているのが塾だとすると,

 塾をなくしてしまえとは主張しにくい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より