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小学校で「大人の言葉」を「聞く力」がついていない子どもが中学校では伸びにくい

 教育実習生の授業を聞いていると,

 「こんな質問の仕方で,『答えてほしい』と思っていることを,
 
 生徒はよく答えられるな」と驚く場面がある。

 文字にしてみれば,本当に不思議なやり取りに見えるだろう。

 生徒たちは,こういう場面ではこういうことが聞かれるはずだ,

 と予想できると,質問を聞いていなくてもだいたいのことは話せてしまう。

 課題の多い教育実習生の話し言葉は,まだ

 「大人の言葉」になっていない。

 会話が「何となく通じる」世界で生きていると,

 中学生相手でも「通じているはずだ」と誤解してしまうことが多いようだ。

 話していることが「子どもレベル」だと,中学生にもよく理解できる。

 問題は,中学校レベルの学習内容を,

 どのように「話すことができるか」である。

 それができるようになると,次のハードルが見えてくる。

 「大人の言葉」を話すと,「聞いて理解できない」中学生が多いことに気づかされる。

 「音として入ってきた,ある程度のレベルの内容が,頭のなかで整理できない」

 中学生がいる。

 単純に集中力がなくて,聞いていなかった,聞き漏らしてしまった,

 という話ではない。

 聞いてはいるが,内容を理解できないので,次第に集中力がなくなり,

 聞こうともしない,という状態に陥る中学生がいる。

 小学校で

 「学び合い」漬けにされてしまうと,こういう現象が起こりやすくなる。

 「大人の言葉」をほとんど耳にしないで

 中学校に上がることになってしまった子どもたちは不幸である。

 もちろん,小学校の教師の中にも,「大人の言葉」が話せない人がいるだろう。

 「それは12歳の子どもに話す言葉か?」

 と疑問を抱く場面に公開授業で出会うことがある。


 それでも,「大人の話」をしっかり聞く習慣がついている子どもは,

 努力次第で何とかついてこれる。

 最悪なのは,そもそも「大人の話」を聞こうとしない子どもたちである。

 多くの場合は,「理解できない」から聞こうとしないのである。

 どうしたら「理解できる」ようになるか。

 それは,日々の練習,訓練しかない。

 それができる場所として最適なのは,大人の教師がいて,

 同じようなレベルの子どもがいる,学校の教室が一番である。

 こういう大事な場所で,「話し合い」ばかりをやらされていると,

 「理解していない状態での発言」で満足するようになってしまい,

 先に進めなくなる。

 前の記事で書いたことが,今回の記事と関連が深い。

 学習が苦手な中学生というのは,「聞く力」が弱いのだ。

 それを,中学校1年生のうちにしっかり鍛えてあげて,「聞く力」の

 補強,補習ができると,中2になって全然違ってくる。

 研究授業では,教師がどのように「大人の言葉」を駆使しているかに

 興味がある。

 しかし,中学校でも,小学生どうしの「話し合い活動」で出てくるような言葉しか発せない教師がまれに見受けられる。

 特に,研究発表会のときの公開授業でそれが見られる。

 「やさしく教えよう」「みんなに分かったと言わせたい」

 という思いが,逆効果になっている例の典型である。

 今までの話を,

 短くまとめると,

 小学校のときに,「知的な負荷」をかけられず,

 「大人の話を聞く力」が身についていない子どもは,

 中学校で本当に苦労する,ということである。

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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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