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いいのこすこと-2 学校の成績を上げるということ

>「成績」というのは、学校の「成績」だけではありません。

>とても狭い見解である」とだけ言っておきます。

 なんてコメントを返しておきながら,

 自分で説明しているのは学校の評価の話。

 「教育論・教育問題」「中学校教育」という場なのだから,

 当たり前と言えば当たり前なのですが。

>私は以前のブログで、TOEICの例を出しました。
TOEICでは点数が上がれば成績が上がったことになり、これは絶対評価です(評定なんかつけません:笑)

 この人は,学校教育の意味が分かっていないのです。

 学校は,「カリキュラム」に沿って,「決められた単元(大単元,中単元,小単元などがある)」ごとに学んでいく場。

 資格試験などは,すでに「こういう内容のようなもの,こういうレベルのものが出題される」ことがわかっているもの。つまり,企業も同じですが,「学校」を卒業した人が取り組むものなのです。

 後者の「成績」を上げたいなら,自分で勉強しなおす,教えてくれるところに行って勉強すればよい。

 なぜ「学校教育の意味が分かっていない」と言えるのか。

 次のような表現から,教師の仕事と塾の講師の仕事を混同していることが分かるからです。

>教師に指導力があるとは、一般的に考えたら・・・(グラフの説明)・・・のようになるということです。

>つまり、全員の得点が上がるということです。

 塾の教師のことを言っているとしか考えられないのです。

 教師が指導力がある,というときは,たとえば中1のとき,Aという英語の教師に学んでいた生徒たちが基本を身に付けられず,興味も失っていたのに,中2になって教師がBに変わったら,打って変わって真面目に学習に取り組みだし,よりよい達成状況を見せるようになった,

という例が考えられますが,学校というのは,常に新しい「単元」を学んでおり,単に同じような内容のテストを繰り返しているわけではないので・・・・。漢字の復習テストやスペリングテストなどはありますが,そういう場合,教師の指導力うんぬんより,生徒個人の努力や準備の仕方にかかっているのです。

 「全員の得点が上がる」ようにならなければ,優れた教師とは言えない,ということはないのです。

 補習塾なら,別の話ですよ。

 学校で学習したはずの内容が理解できておらず,もう一度,教え直して,「得点が上がる」というのは,

生徒の努力ももちろんありますが,塾の教師の指導のおかげでしょう。

 なぜ,「全員の得点が上がるようにならなければ,優れた教師とは言えない」なんてことが言えないのか。

 もしそういうことが言えるのなら,テストを繰り返すうちに,全員が100点をとれるようにならないといけないでしょう。

 この人は,本当に教師をしていたことがあるのか?と疑問に思えてしまうくらい,学校教育のことが分かっていない。音楽の教師でも,ペーパーテストを作った経験が1回くらいはあるのでは?

 テストを作った経験がない人には分からないかもしれませんが,中学校では,平均点が70点くらいになるように問題を作成します。

 小学校の教師が使っている,みんなが100点をとれるような業者のテストとは全く異なります。

 だから,「すごくできる生徒が多い学年」なら,私なら,問題のレベルを上げて,チャレンジさせていくので,「平均点が変わらない」ということなら,「例年の生徒よりもよくできる」ことが分かるくらいのことです。

 「学校の成績を上げる」ということは,「新しい単元の学習」において,「以前の単元の学習」よりもよりよい目標の達成状況を教師に示すことができた,という意味になります。

 国語や英語,数学の場合には,「新しい単元」でも,「以前の単元」の能力をベースにしていく面があるので,「成績を上げる」ことは難しいのです。だから,塾がある,という説明も成り立つのでしょう。

 繰り返しになりますが,

 中1で学校の成績が振るわなくても,こういうことに力を入れておけば,やがて成績が上がるようになる「ツボ」「ポイント」があることに気づいたのが,私のアルバイト時代の話でした。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
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    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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