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何をどう「たとえるか」で問題解決力や実践レベルが分かってしまう

 「たとえ」の解説を始めた人がいる。

 それでは,「たとえ」にはならない。

 「関係性」を考えることができない人は,本当に社会で苦労していると思う。

 一番迷惑をしているのは,周囲の人間だろう。

 本人は迷惑をかけていないつもりでいるから,本当にやっかいである。

**********************

 音楽への好き嫌いが激しい私にとって,

 下手くそな演奏や興味を感じない演奏は,「騒音」でしかない。

 また,自己満足に浸っているような人間の演奏も同様である。

 「幸福追求の権利」が侵害されていることを強く訴えたい気持ちになる。

 「道路工事の音」の方が,まだましである・・・・・・

 なんて書けば,

 「この人は本当に音楽への理解ができていない人だ」

 とか,

 「変わった人だ」

 のような印象を与えることとなる。

 「たとえ」は,何がどうなっているかを把握しようとするとき,

 適切にいくかどうかは分からないが,こうなんだな,という理解を促す効果がある。

 「たとえ」が思いつきやすい人というのは,アイデアを他の世界から借りてくることが

 得意なので,何かで煮詰まったとき,行き詰まった時に

 突破口を見つけてくれる可能性がある。

 残念ながら,アナロジー思考ができない人の場合には,混乱してしまうだけの結果になることもある。

 教育現場では様々な「想定外のこと」が発生しているが,

 これをいったん何かに「たとえ」て処理していくと,

 「重み」を軽減することができる。

 
 気をつけなければならないのは,場の雰囲気を和らげようとしているのに,

 「そんなたとえは不謹慎だ」などと真面目に?怒り出す人がいるかいないか,
 
 事前にチェックしておくことである。

 
 こういう人がいる学年や学校は,「重み」を倍増させる人を抱えている,

 という意味で,本当につらい。

 
 「たとえ」が駆使できる教師集団には,「根っこがつながっていて強い」という印象がある。


 「どの人の実践レベルが分かってしまったのか?」

 また,「なぜたとえの事例を出さないのか?」などという「疑問」を浴びるかもしれないが,

 
 私が言いたいことは,タイトルの一文と,

 「あの人には,逆立ちしても問題は解決できないだろう」ということだけである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より