何をどう「たとえるか」で問題解決力や実践レベルが分かってしまう
「たとえ」の解説を始めた人がいる。
それでは,「たとえ」にはならない。
「関係性」を考えることができない人は,本当に社会で苦労していると思う。
一番迷惑をしているのは,周囲の人間だろう。
本人は迷惑をかけていないつもりでいるから,本当にやっかいである。
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音楽への好き嫌いが激しい私にとって,
下手くそな演奏や興味を感じない演奏は,「騒音」でしかない。
また,自己満足に浸っているような人間の演奏も同様である。
「幸福追求の権利」が侵害されていることを強く訴えたい気持ちになる。
「道路工事の音」の方が,まだましである・・・・・・
なんて書けば,
「この人は本当に音楽への理解ができていない人だ」
とか,
「変わった人だ」
のような印象を与えることとなる。
「たとえ」は,何がどうなっているかを把握しようとするとき,
適切にいくかどうかは分からないが,こうなんだな,という理解を促す効果がある。
「たとえ」が思いつきやすい人というのは,アイデアを他の世界から借りてくることが
得意なので,何かで煮詰まったとき,行き詰まった時に
突破口を見つけてくれる可能性がある。
残念ながら,アナロジー思考ができない人の場合には,混乱してしまうだけの結果になることもある。
教育現場では様々な「想定外のこと」が発生しているが,
これをいったん何かに「たとえ」て処理していくと,
「重み」を軽減することができる。
気をつけなければならないのは,場の雰囲気を和らげようとしているのに,
「そんなたとえは不謹慎だ」などと真面目に?怒り出す人がいるかいないか,
事前にチェックしておくことである。
こういう人がいる学年や学校は,「重み」を倍増させる人を抱えている,
という意味で,本当につらい。
「たとえ」が駆使できる教師集団には,「根っこがつながっていて強い」という印象がある。
「どの人の実践レベルが分かってしまったのか?」
また,「なぜたとえの事例を出さないのか?」などという「疑問」を浴びるかもしれないが,
私が言いたいことは,タイトルの一文と,
「あの人には,逆立ちしても問題は解決できないだろう」ということだけである。
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