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林修さんVS元ヤンキーの若者たち

 TVを観ていた中学生も多かったようである。

 図を教室で引用したら,すぐに反応があったので分かった。

 久しぶりに,真剣勝負「風」の番組を見た気分である。

 なぜ「対決」になってしまうのか,「勝ち」「負け」なのか,教育の立場からはコメントしにくいが,

 あれが立派なエンターテイメントになっていたことは確かである。

 予備校の魅力的な先生たちは,露出が多い分,苦労も多いと思われる。
 
 年間200泊もホテルで寝泊まりしなければならないのは,本当にお気の毒だが,

 移動時間はさぞ本がたくさん読めるのだろうとも想像してしまう。
 
 私もさすがに200泊はないが,数十泊という出張や十数回のタクシー帰りを経験したことがある。

 このころは,人生で一番たくさん本が読めたときであった。

 テレビカメラがまわっている前で話すのはやりにくいのではないかと思われるが,

 相手との「距離」がきちんととれる(自分が固定カメラの前から移動することがしにくい)ので,

 ある意味,「安心」して見ていられる。

 林修さんは,私と同世代で,プロフィールを見させてもらうと,いろんなことが共通している。

 4年間,どこかですれ違っていたかもしれない人物である。

 私が番組を見て一番ほっとできたのは,汚い字の板書である。

 予備校の宣伝番組でも同じような字だったから,いつもああなのだろう。

 ヤンキーは,テレビに映ることを知っての出演だから,どう考えても

 本当の「勝負」などではない。

 しかし,私がうなったのは,絶対に反応するであろう「つかみ」を最初に使わなかったことである。

 そこに,「存在の重み」を感じ取った。

 いきなり「ウケねらい」で入ったら,そこでTVの電源を落としていたかもしれない。

 そうでなかったから,思わず観つづけてしまった。

 いつ出すのか?と思わせ続けるのは,視聴率を稼ぐ意味でもいい「戦略」である。

 しかも,授業では欠かせない,「生徒にツッコミを入れさせる」場面もしっかりつくっていた。

 出演されていた「元ヤンキー」さんたちは,たいへん礼儀正しく,気立てのよい人たちばかりだった。

 ・・・・林さんは,「本物」に出会ったことがあるだろうか。

 私の場合は,「野球部の指導者」という武器があった。

 今,公立学校で,このタイプの武器は通用しにくくなっているが,

 本当に授業だけで勝負しなければならない人は,

 厳しい現実を思い知らされる場が公立中学校というところである。

 「勉強嫌い」をセメントで固めるような授業を公立中学校から一掃するために,

 できることは何だろうか。

 林さんには,学校の教師への「ご意見番」のような役割を期待したい面もある。

 いつやってほしいか?

 もちろん,・・・。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より