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なぜ「記憶より思考」という言い方がなされるのか?

 教育実践と無縁の人が書いている記事の内容が分かりにくいので,

 少し解説を試みたいと思います。

 本人にあてはまっていることを詳しく書いているだけだと分かっている人は,

 全く読む必要のない記事です。

 

 なぜ「記憶より思考」という言い方がなされるのか?

 「記憶より思考」とは,「記憶はするな」「思考だけしろ」という意味ではありません。

 「記憶より思考が大切」という言い方が,

 どのような場面でなされるとぴったりくるか?

 教員採用試験の面接で使ってもいいかもしれませんね。

 そこに,「記憶の再現」だけで終わっている授業はありませんか?

 「記憶の再生」だけで終わっているテストはありませんか?

 「感動的だった」程度の感想しか言えない人はいませんか?


 人間には,機械にはできないタイプの「思考」が可能であることは,だれでもよくご存じのことでしょう。

 「類推」ができない人が書く文章というのは,少し読むだけですぐ分かります。

 
 これは教員採用試験そのものの問題が明らかになるケースですが,

 「記憶力」はいいのに,「コミュニケーション能力」が非常に乏しい人間が

 採用試験に合格してしまう場合があります。

 
 「相手があのとき,何を言ったか」はとてもよく覚えているのですが,

 「相手はあのとき,なぜそれを言ったのか」を考えるというか,感じ取ることが全くできない人がいるのです。


 こういう人が教師になると,すぐに子どもと,そして保護者との間でトラブルを生じます。

 記憶力はあっても,感受性に欠ける。思考力に欠ける。

 そんな人は,教師には向いていません。


 久しぶりに登場した「教育論」らしい内容でしたが,相変わらず人権意識を欠いた,

 「現場を去ってくれて大正解」と思われてしまうようなものでした。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より