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「体」と「頭」しかなくて,「心」のない人たち

 世界を分かったつもりになりたい人たちは,

 X と Y とか,A と B と C に分けて納得してしまう。

 世界を正しく知りたい人たちは,

 X と Y の境界線とか,A と B と C のすべての要素をもっている部分に目を向けたりする。

 世界をより深く知りたい人たちは,

 「それ以外の要素」を探そうとする。

 知徳体というが,これらは「別々のもの」ではない。

 お互いに,様々な影響を及ぼし合っている。

 知を何かの教科で,徳を道徳で,体を体育で,などという発想では,

 教育は成り立たない。

 ただ,そういう「納得しやすい世界」が,どんどん社会を浸食している。

 うちの担任は,運動が苦手だから,子どもたちが体育が苦手になる。

 分かったような感じがする「論理」(でも何でもないが)である。

 知を徳や体の見地から考える。

 徳を知や体の見地から考える。

 体を知や徳の見地から考える。

 こういう「思考」の訓練が落ち着いた環境でできるのは,学校だけである。


 
 先日,戦時中の女学生が特攻兵に綴った手紙,その返信の手紙を,

 本人が改めて「感動」しながら紹介する映像を授業で使った。

 何にどのように「感動」することが,どのような「問題」を引き起こすか,

 「考える」ことができなかったことが,「おろかなことだった」と語る人もいた。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より