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本を読んでも何も学べない人

 教育界で最も情けないと感じるものの一つが,

 小学校の教師向けの本の内容です。

 ここまで「手取り足取り」でないと,教壇に立てないのか?

 こんなに「当たり前」のことまで,本で読まなければならないのか?

 ただの「方法」「手段」に過ぎない内容だから,現実の実践にうつすときに,
 
 余計に力不足を痛感する結果にならないのか?

 いろんな疑問が浮かぶのですが,

 一番大きいのは,そもそも

 「本から学ぶ」という習慣がついていないのではないか?

 という教育者としての資質にかかわる不安です。

 「教養」とは縁のないところにその「世界」があるというのが私の印象です。

 「恥をさらしている」という意識がないのは,本当に狭い世界でしか

 生きていない人たちが,狭い世界の住人に向かって語りかけている

 だけだからなのでしょう。

 本を「一般書」「専門書」と区別する方法がありますが,そういう本は

 「児童書」のイメージに近いものです。

 さすがに実例を挙げて批判するのは控えますが,

 例の「学び合い」の本で,子どもに「教え合い」をさせて,

 「指導上の工夫」が教師用の指導書を教卓の上においておく,

 なんていうのが,「売り物」として世の中に出ていることは驚愕の事実です。

 教育にかかわる環境の劣化,教育にかかわる人間の劣化を示す

 典型的な実例です。

 ある人が,「法律力」という「力」について記事にしていますが,

 少なくともこの人には,本から何かを学んだ,という形跡がありません。

 小学生に対して,「本を読むことの意義」をどのように伝えているのか,

 自分が読んでいる本・・・・「小学生を動かす魔法のワザ」なんていうのを

 小学生に紹介することができないのは当然ですよね。

 小学生向けの本として,

 「先生を動かす魔法のワザ」・・・・・内容を逆手にとれば,こういうのもつくれそうです。

 子どもを「操作」する方法を学び,実践している人を「操作」するのは

 それほど難しいことではありません。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より