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ピンとこない世界文化遺産としての「富士山」 ~求めたい学習指導要領の「小改訂」~

 おめでたいニュースで,喜んでいる方々には失礼にあたるかもしれないが,

 世界文化遺産としての「富士山」に,今一つ「しっくりくる」ものがない。

 富嶽三十六景など,大好きな浮世絵の作品もたくさんあるが,

 まだまだ知識不足であるのも一因だろう。

 また,富士山が主役であるはずなのだが,文化遺産ということは

 「客体」としての存在価値が高いように感じるからかもしれない。

 それは,本当の意味で富士山を讃える意味になるのかどうか。

 日本人は,自然を畏れる民族であろうと思う。

 どこかに違和感がある。

 ここが,「学習」の出発点となる。

 私たち教師には,「富士山」の「文化」を語るという新しい使命ができた。

 観光立国を目指すという意味でも,

 「富士山」を通して「日本の何が語れるか」を追究していかなければならない。

 学習指導要領を,今すぐにでも,「小改訂」したいくらいである。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より