もし人から学ぶ姿勢が身についていたなら
もう少し「まし」な題材の「教育論・教育問題」を語ることができただろうに。
子どもに「おれの技を盗んでみろ」という教師はいない。
ごくまれに,「その下手くそな説明では,話にならない」と感じている子どもが,
やがて大学を出て,いい教師になったりする。そういう意味では「役に立つ教師」もいる。
人は,「何を学ぼうとするか」でその価値が決まる,なんて書いたら大げさだろうが,
機械いじりよりも大切なことがあるだろう,というのが
たとえば今の「技術科」の学習である。
ましてや・・・・こんな話はやめておこう。
私は,400人から1000人を同時に動かす訓練を教師を始めてからの6年間で受けてきたから,
「必要最小限の指示」を同じようなことをやろうとする人に教えることができる。
私と同じように指示してくれれば,他の人も同じように数百人を動かすことができるか,
というと,そう簡単にはいかない。
それがなぜか,ということに気づける人と,気づけない人がいる。
気づけない人には,何を「教えて」も「動かせるように」はならない。
気づける人は,もう何も「教えること」はない。
あとは自分で力をつけるしかない。
簡単に手に入れられるものは,簡単に失うことができる。
苦労の末に手に入れたものは,なかなか失いにくいものである。
「盗めるもんなら,盗んで見ろ」なんて,いじわるな態度でいるわけでもない。
世の中に,そんなに簡単にできる「仕事」などない。
見た通りに,聞いた通りにやればできる,
なんていう世界のものに,何のやりがいがあろうか。
だれでもできる,なんて本が流通しているが,
そんな本が役に立つようなら,教員養成系大学の教師など必要ない。
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