ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 失言・暴言がなくならない理由-2 見過ごしてはならない生徒の暴言 | トップページ | 高校入試とマークシート »

「格上」とか「格下」にこだわる人へ

 上だとか下だとか,

 偉くなるほどへりくだるべきだとか,

 そういうことにやたらと執着する人がいる。

 こういう人は,人からの評価が気になってしかたがない。

 だれも褒めてくれないときは,自分で自分を褒めてしまう。

 「自己肯定感」というのは,大人にとっても不必要なものではないので,

 勝手にやってもらう分には,かまわない。

 しかし,他人になりすまして自分で自分を褒めるのは,哀しすぎるのでやめるべきである。

 どうしてばれてしまうかは,インターネットの仕組みをある程度知っていたら

 わかるはずなのだが。

 さて,教育に関する議論をする上で,邪魔になるのが

 相手が「格上」だとか「格下」だとかいう「序列意識」である。

 私は幸いにも,そういう意識をもたずに議論できる職場で仕事をしている。

 しかしそんな職場はごくまれであろう。

 多くの人は,そんな職場でのストレスを,こういうブログの場で発信して,

 気持ちを紛らわせている面があるのだろう。

 そんな内容を「ゴミを拾う人以下」などと呼ばれる筋合いはない。

 「ゴミ以下」のものを散らかし放題の人からなら,なおさらである。

 気に入らない相手を常に「格下」へと落とし込んで満足するような態度は,

 指導力不足教員によく見られた。

 「おれより下のやつがいる」というのが,

 「おれには指導力がある」ことの根拠になるのだ。

 問題行動の指導をするとき,

 「あいつはおれよりひどいことをしている」

 などとわめき始める子どもと同じレベルである。

 指導力不足教員でもどうしても使わなければならない学校なら,

 そういうことを言わせて安定させるのも一つの手段だが,

 そうでなければ,どれだけ問題があるかを本人につきつけるしかない。

 問題行動を繰り返す生徒への対応と全く同じである。

 根気よく続けなければならない。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 失言・暴言がなくならない理由-2 見過ごしてはならない生徒の暴言 | トップページ | 高校入試とマークシート »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「格上」とか「格下」にこだわる人へ:

« 失言・暴言がなくならない理由-2 見過ごしてはならない生徒の暴言 | トップページ | 高校入試とマークシート »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より