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「思う」ことの「正しさ」と「公開する」ことの「正しさ」

 「言語活動の充実」が求められる趣旨を理解しないまま,

 ただ「語らせる」ことばかりに注力する,

 あるいは,「語ること」が「よいこと」という「誤解」を子どもに

 植え付ける結果,

 あの「復興庁の参事官のつぶやき」のようなことが起こる。

 「思ったことは,何でもいいから,とにかく発表しましょう」なんていう

 指示を教師が子どもに出すとして,

 「もうこんな授業は退屈だから,先生出て行って」

 などという「本当のこと」を子どもが発表することはない。

 しかし,それでも「発表すること」を強制されるとしたら,

 子どもは「口から出まかせを言う」ことが習慣化されてしまう。

 「ウソをつく」「つくりばなしをする」ことすら,授業のなかで正当化されてしまうのだ。

 「発表しない」という選択肢がいかにすばらしい面をもっているか,

 本当は教師も知っているはずである。

 偉そうなことを先生方に講演している人をだまらせることができる

 質問を私はいくつも持っている。

 そこで「とにかく何か言わなければならない」ことになったら,

 その人の立場がどんどん悪くなるだけである。

 だから,黙る,のが正しい選択肢である。

 あの「復興庁参事官」がつぶやいた内容には,本人にとって「正しい」ことが

 たくさん含まれている。

 中には,多くの官僚が「思っていること」も,「正しく」書かれている。

 もちろん,中には公務員の態度として,「正しくない」こともある。

 「おれは好きでこんな仕事をしているわけじゃない」

 という誤解(正解?)を招きかねない内容もある。

 これら多くのことが,「公開されること」は「正しくない」というのが,

 一般の人たちの多くがもつ感想である。

 本当は,「思っている」ことも許されない。

 「正々堂々と公開したのだから,許してやろう」というのは,

 学校の教師が問題行動を起こした子どもにもつ「感情」だが,

 それが社会一般に共有化され,しかもそれが実際に「許す」という

 結果になったら,おそろしいことである。

 政府は,復興庁の職員として被災者を臨時で採用する,なんていう政策を

 打ち出さない限り,「政府不信」が収まらなくなるような事態になりかねない,

 ・・・・・それくらいひどい内容だった。

 一方で,マスコミやバラエティー番組にとっては,とても「おいしい」内容だった。

 結果として,「復興庁元参事官」になった人は,テレビのコメンテーターになって,

 官僚批判をするのが夢だったのではないか,などと想像してしまう。

 なっていうと,番組中にキレた「博士」に失礼かもしれない。

 しかし,人に愚弄されて,「去る」という選択肢がとれる人は幸せである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より