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失言・暴言がなくならない理由

 失言・暴言といったら,一昔前は

 「政治家」の「十八番」?だったはずだが,

 今では教師から芸能人まで,

 その裾野は広がりを見せている。

 言うまでもなく,情報があっという間に広がる条件が整った時代であるし,

 そういう失言・暴言を取り上げることで

 「収益が上がる」人たちが増えているからでもある。

 「次は何かな」「次はだれかな」などと

 「待ち構えている人」がいる構図は,あまり気分のいいものではない。

 そういう人たちは,

 失言・暴言を発した主を糾弾するのが仕事であり,

 それらの失言・暴言によって傷つけられた人を救済することは眼中にない。

 「言われた人に変わって,言った人間を痛めつけてやる」

 という発想は,「正義」の考え方とは異なる。


 「年収が低い人間はぜいたくなものを食べに来るな」

 などと聞こえてしまうような言葉は,せっかくの食欲を消し去るものである。

 だれにとってもプラスにはならない。

 
 社会にとって,何かプラスになることを発信したい。

 自分や社会にとって,何かプラスになる情報を得たい。

 そういう人が増える社会にならないと,

 何だか低い方へ,低い方へとレベルが下がっていく気持ちになっていく。

 
 人は,自分より低いレベルの人間がいると,安心してしまう傾向がある。

 自分より高いレベルの人間がいると,不安になる傾向がある。

 上の「安心」は,「危険」のしるしであり,

 下の「不安」は,「安全」のしるしである。
 
 「安心」の結果,生まれるのが「失言・暴言」である。

 「不安」の結果,生まれるのが「正しい危機感」である。

 
 「安全」な道を,人も社会も目指すべきである。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より