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発信オンリーか受信オンリーの子どもを育てる恐れのある発信オンリーの教師

 「言語活動の充実」という観点から実際の教育実践のあり方をイメージするとき,

 どうしても「発表する」「表現する」という「見える活動」に重点を置きやすくなります。

 その前の,「考える」とか,さらにその前の「よく読む」「よく聞く」「よく見る」といった「学習活動」が

 あって,初めて成立するのが「発表する」活動や「表現する」活動です。

 多くの学校の実践や,

 今日も研究会で発表していた人の態度を見るにつけ,

 最も欠けているのは

 「人の話を聞くこと」だろうと実感しています。

 そのタイミングが一切ない「発信者」がいます。

 「受信する側」も大切なのは,

 「ただ耳に入れる」のではなく,「聞くこと」です。

 喧嘩している親子の会話の,「聞いているの?」「聞いてるよ」

 の「聞いてるよ」の意味ではありません。

 国語という教科の学習では,特に留意されていることと思いますが,

 社会科にしろ,数学にしろ,「聞くこと」なしに「答えること」「考えること」は生まれません。

 ただ教科書や問題集の問題を解いていればいいというのなら話は別ですが。

 ここが,「塾」と「学校」でつけさせることができる「力」の違いです。

 一般的に言って,テキストがあれば,何をしたらいいかが分かっているのが塾。

 だから,「宿題」も出しやすいのは,塾。

 一方,「何をどう考えるか」を「考える」のが学校。

 「考える」ために,「聞く」ところが学校。

 それなのに,「聞くこと」がおろそかになってしまっている学校が多い。

 その最大の原因は,教師自身が「聞くこと」をおろそかにしているからです。

 人の反応に全くの無関心のまま,ただ自分の話したいこと,

 言いたいことを垂れ流しているだけの教師が近くにいませんか。

 「人の話を聞かない」と批判されている教師はいませんか。

 本当に「人の話を聞かない人」は,各学校にいますよね。

 教科の「専門性」の意味を取り違えている人たちが。

 教師たちは,生徒の何をどう「受信」しているのでしょう。

 「発信」を第一に考えるより,「受信」をまず優先させる。
 
 「受信」あってこその「発信」という姿勢は,

 教師がまず授業でこそ見せるべきものです。

 今日の2時間の研究会は本当に残念な時間になりました。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より