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内田樹とDさんのダメな共通点

 二人がそっくりなところがある。

 たとえば,他の人間がどう考えているかが見えていないところ。

 見えていない,というより,見る気がないという方がしっくりくる。

 内田樹はそういう点で開き直っていることを自分で認めているが,

 もう一人は自分がどうなっているか,自分で理解できない。そこは相違点である。

 共通点の2つ目は,自分がその立場にはない人間のことを批判していることである。

 内田樹は「制度の問題」だとしているが,自分にそれを変える力がないのはわかっている。

 もう一人は,もとはその立場にいたことを語っているが,その語っている内容から,

 「制度の問題」以前のところに問題があることをばらしている。そこは相違点である。

 共通点の3つ目は,自分がどうにかしようと考えていないことである。

 一人は,どうにかしようとしたつもりなのはわかっているが,それが逆効果にすぎなかった。

 それなのに,自分がダメなことがわかっていないから,無力感を覚えていることはない。

 両者ともに,私たち現場の教師から見れば,ただの無責任人間にしか見えない。

 共通点の4つ目は,「金」の話(と結びつけること)が好きなことである。

 一人は,書くことで「金」になることはないが,

 内田樹は,自分が批判している教育の成果が自分そのものであることを「金」の話を通して語ってくれている。

 5つ目は,これが最大にして最悪の共通点なのだが,

 「ダメな学校」「ダメな教師」は少しだけ知っているようだが,

 現実の「まもとな学校」「まともな教師」の姿が思い浮かべられないことである。

 内田樹が「今の教育でこんな人間は生まれようがない」なんて言っている人間が,たくさん生まれている。

 内田樹の場合は,自分自身もそうだったのに,

 教師を「まともな職業」とそもそもみなしていないので,

 「学校教育の終わり」のような記事が書ける。

 教育に関する内田樹の文章は,観念先行型でリアリティに欠ける。

 それは自分自身がよくわかっているが,

 もう一人の場合は,それがわかっていない。

 両者ともに,とても気の毒に思う。

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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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