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塾講師をしていたころの思い出

 教え子からメールが来て,大学に入ったばかりなのに,塾の講師としてアルバイトしていると聞いてびっくりした。

 そのメールには,「講師の仕事の手際の良さ」が,

 中学校のときの行事や生徒会活動の運営で身につけた力によるものだと気づいた,

 というコメントが入っていた。

 私が塾の講師としてアルバイトを始めたのは,大学3年生からだった。

 担当する授業は多くても1日3時間だが,その準備に3時間くらいかかることもあった。

 夏期講習は最大で6時間という日もあった。

 偉そうに,2つの塾をかけもちしていたこともあった。

 さらに家庭教師もやっていたことがあった。

 アルバイトをする最大の理由は,本を買うお金を稼ぐためであった。

 大学の勉強も決しておろそかにしていたわけではないが,

 4年生では卒業できず,結果,アルバイトは3年間続けることになった。

 5年目の学費は自分で負担することができた。

 塾の講師は,塾長だけでなく,生徒に

 「頼りにされる」と,辞めにくくなる。

 この時期の私の最大の喜びは,

 子どもが「分かる喜び,できる喜びを全身で表現してくれること」だった。

 子どもたちは,「分かる」という実感,

 「できる」という自信に本当に飢えているのだと思った。

 そういう「喜び」を味わわせてあげて,自分もうれしくなる,

 そんな職業に就くのは最高だと思って,教員採用試験を受けたら

 合格してしまった。

 一番苦労したのは,大学の単位である。

 野球部時代の「ツケ」はあまりにも大きかった。

 「教職に必要な単位」といっても,何の役にも立たないことが分かっている

 授業を聴いて,試験を受けなければ,免許がもらえず,

 採用試験に受かった意味がなくなる。

 ・・・・これが,「大学生のころの思い出」
 
 というより,「塾講師をしていたことの思い出」であった。

 実際に教員になってみると,

 「授業」だけではない,日常の生活から,行事から,部活動から,何から何までが

 「やりがい」の連続だった。

 だから私が思えるのは,

 学校の教師をやめて塾の講師をやっている人は,

 塾にいる子どもたちの本当の心の声を知っているはずである,ということである。

 「ここにいるのが本当の自分ではない」

 それが本当の声だ,ということを信じたいのは,

 私が学校現場の教師だからかもしれないが。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
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  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
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  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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