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教育論にも教育問題にも関係のない記事

 どうしてこのカテゴリーに,こんな記事があるのだろう,と感じる人は多いでしょう。

 また,そう感じる記事が実際に多い。

 「自己申告」の世界というのは,こういうものなのだということが,

 ブログ村に住んでいるとよく分かります。

 書く方を間違えてしまったのではないか?という記事も・・・・。

 別に,「教育論・教育問題」に関係のない記事を削除する機能をブログ村に

 要求する気はありません。

 教育の世界というのは,

 いろいろな分野からヒントをもらって,

 日々の実践に生かすことが必要な場所です。

 相手はまだ「人格の形成途上の子ども」なので,

 直接的に内容を教え込むよりも,

 間接的にでも刺激を与えた方が,より効果的なところなのです。

 ・・・・ですが,正直に申し上げて,

 私はほとんどの方の記事を読みません。

 「できのよい人」

 「自分の道を確実に歩んでいる人」

 には,何の興味も感じないのです。

 それが,中学校教師というものです。

 私は,どういう人の,どんな記事に関心があるか。

 もう申し上げるまでもないでしょう。

 中学校教師が,そういう態度でいれば,

 いじめを防ぐ確率が少しだけかもしれませんが上昇します。

 それにしても,問題が発生する場所には,

 特別な磁場が生まれているのか,

 自然とひきつけられて近くにいる,というのは,

 昔から不思議なことだと思っています。

 自分が近寄ると問題が発生するのではないか?

 と不安になったりもします。

 「におい」に敏感な教師になるためには,どうしたらいいか,

 と質問されたこともありますが,

 「目を見て話そう」としか言えません。

 そういうことができない教師,

 目を見ても何も悟れない教師が増えていることが

 「教育現場の危機」であるというのが,

 私にとって最大の「教育問題」です。


 ネット上では,「目は見えない」と思われるかもしれませんが,

 ブログ村には,「目が怪しい人」がいます。

 「それでなぜ恥ずかしくないのか」が不思議でなりません。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より