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民間人校長のスピード退職から「学べる」こと

 すぐ辞めるなんて,おかしい。

 民間人はこんなもんだ,なんていう発言はおかしい。

 そんな人間を採用するのはおかしい。

 「おかしい」ことはもちろんたくさんある。

 しかし,最も大切なのは,

 「学校のおかしさ」を「おかしい」と認識することである。

 英語教育の充実どころではない。

 これは,学校の教育の問題を端的に示している。

 どこがどのように問題なのかを,分析していかなければならない。

 私は,小学校における英語遊びには大反対である。

 20分休みとか,放課後に教師が子どもと遊んだり,

 地域の人が参加して楽しむのはけっこうだが,

 教育課程の中に盛り込むことは,百害あって・・・・一利くらいはあるだろうが・・・。

 この国の最大の教育問題は,

 「学校で何ができるのか」

 「学校で何ができていないのか」

 を考え続けることである。

 「自分にできる仕事はない」

 として,すぐに現場を去る態度は,

 現場の教師としてはしっかりと見習うべきものである。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より