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オタク文化と「僕すごいでしょう」が共存できる特殊事情

 「江戸人」も予言していた現在の日本の「オタク文化」。

 「オタク文化」は,「奥ゆかしさ」という日本の文化の伝統を受け継ぐものである。

 「そこまでやるか」

 という「こだわりの強さ」こそが,日本の「しぶとさ」の原動力である,

 と考えている人も多い。


 ただ,勘違いしている人もなかにはいる。

 本人は「勘違いしている」自覚はないからこそ,

 「本物のオタク」に見えるところがすばらしい。

 
 これは,教育の成果,というか害悪の一端であろう。

 両極端な環境で育った子どもが,

 全く同じような「状態」を見せることがある。

 親が,ただひたすら,褒めて,伸ばす,これだけに専念することで,

 こんなふうに育ってしまったんだな,という子どもがいる。

 「僕すごいでしょう」という言葉を顔に書いて歩いている子どもである。

 たいていは中学校で挫折し,親が柔軟でないと屈折していくか,

 「ポキリ」と折れてしまう子どもたちである。


 一方,全く逆の境遇なのに,同じような姿を見せる子ども・・・・そしてそれが

 そのまま大人になってしまった子どもがいるのは不思議なことである。

 
 人に認められたい,すごい,と思われたい,その一心で,

 デビューしていく。

 
 ネット上の場合は,また,「折れる」につながることもある。

 
 「恥」の文化に縁のない環境で育った子どもは,本当に気の毒である。

 ただ,徹底的に「恥」の感覚がない人というのは,ある意味,無敵である。

 
 大人であれば「変人扱い」されるだけで,「いじめ」を受けることは減るだろうから,

 「気づける」チャンスが少ない。

 
 「気づく」チャンスはいくらでもあったのに,その一切をスルーできてしまう人は,

 本当に無敵である。


 こういう人でないとやっていけない学校や,

 その人自身の境遇もあるんだなと思うこともあるので,

 一概に「否定」はできない。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より