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学校の先生方が一致団結できない理由

 各教育委員会が教員の配置を行う場合,

 どこかの学校だけに「力のある先生」を集中させることはまずあり得ない。

 特定の議員や,教育長の地元の議員の影響などがある場合も考えられるが,

 一般的には,各学校に「力のある先生」は同じような割合で配置されている。

 と同時に,「課題のある先生」も同じように配置する。

 「力のある校長」とみなされると,「育ててほしい」なんてことを理由に,

 「課題のある先生」が複数送り込まれることもある。

 「課題のある先生」は,わずかな年数で学校を変わっていくので,

 「しばらくの我慢」という空気が学校には流れるものである。

 あるいは,「機嫌を損ねなければ,生徒への問題も防げる」と考えて,

 周囲が気をつかって「課題のある先生」の「課題」を表面化させないように

 努力している場合もある。

 いずれにせよ,こういう教師の存在は,学校にとって大きな負担となる。

 実は,こういう教師の存在が,行政にとっては大きな「武器」になっている。

 あの団体の活動とは別に,教育的ないい意味で,学校が「一致団結」されると,

 行政としては困ることになる。

 市民の要求と全く合致してしまうような学校側からの要求は,はねつけにくい。

 適度に内輪もめしてくれている方が,行政の側はラクなのである。

 なんて「妄想」を,抱いている人はだれ?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より