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「悪役」として利用される「自分」と利用する「自分」

 いくつもの「自分」をネット上で展開させている人が,

 「自分」を「悪人」として利用し始めるケースがある。

 ある有名な「コメンテーター」は,とうとう「本物」と「同化」し始めている。

 これは,いくつもの「自分」のうち,中学校では

 「悪役」を「通常モード」に設定する生徒と同じである。

 中学校教師としては,なかなか「応用モード」に接する機会がないので,

 とりあえず「通常モード」が「本物」かどうかを見極めなければならない。

 「本物」なら話は簡単なのだが,難しくなってくるのは

 それが「本物」ではないことが分かったときである。

 中学校の場合,子どもに「モード変更」を強いるのは逆効果になることが多い。

 「本物」ではなかったはずの「悪役」としての「自分」が,

 「本物」になってしまうケースもあるのだ。

 では,「本物」ではないことが分かったとき,どうするか。

 いろいろな「自分」を演じさせる機会を増やすことである。

 中学校には,これしか解決方法はない,と言ってもいい。

 言葉かけ,教師の働きかけだけで,中学生が変わることはまずない。

 何となく生活指導が「うまくいった」などと思った時が,
 
 最も危険な時である。

 「うまくいかない」ことを自覚しながら,

 子どもの変化を見逃さない。

 そして,たった一瞬でも,「自分」を「悪役」として利用しようとした

 「自分」への嫌悪感をその生徒が表したら,利用されようとした

 「自分」の側に教師もついて,闘うのである・・・・というか,

 闘わせるよう,仕向けるのである。

 そうして中学生は,一歩,一歩,成長していく。

 進化の過程を振り返るように,長い目で「心」の「形状」の変化を

 見極めることが,中学校教師に求められている。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より