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暴言教師の小中連携

 小学生でも6年生にもなると,中学生と一緒にいても区別がつかない男子や女子がたくさんいる。

 中学校2年生でも,小学校6年生といても区別がつかない男子がいる。

 「発達の時期」がずれているための現象だが,

 中学校の教師としては,

 「せめて内面だけは」などと思ってしまう。

 そういうところがあるから,

 あの小学校の暴言教師の気持ちは分からないでもない。

 しかし,実際にあのような暴言を小学校2年生に浴びせられる「能力」には恐れ入る。

 こういう教師が「研修」を受けた後に現場に復帰することについて,

 「危惧をおぼえる」という保護者の感覚は,とてもまともなものだと考えられる。

 私たち中学校の教師は,

 小学校に訪問して小学生に会うと,

 おそらく多くの人は

 癒される

 思いがする。

 中学年あたりになると,

 「この子は先生に憎まれていそうだな」なんて小学生も見えるようになるが,

 低学年の子どもの場合は,

 「手を焼きそうな子どもだな」

 とは思っても,

 「教師はこの子を憎んでいるな」

 とは感じない。

 しかし,暴言の中身からすると,

 小学校の教師には,

 中学校の教師がもっていない感性が宿っていると思ってしまう。

 高学年の児童に対して,

 本当に優しく,そして易しく,低学年の子どもに話すように語りかける教師がいたり,

 その話し方では中学生でもなかなか伝わらないぞ,という教師がいたり,

 中学校と同様,小学校の教師もさまざまである。

 さまざまであることは分かるのだが,

 なかなか理解できないのは,

 あのような暴言を浴びせることができる「能力」である。

 実は,私の妹の担任も,当時でも有名な暴言教師だった。

 私の担任も,見方を変えれば,立派過ぎるほどの暴言教師だった。

 小学生の学級崩壊は,

 こういう学級では起こりにくい。

 完全に「制圧」できているからである。

 小学生の教師から見ると,

 中学校こそ「暴言教師」の宝庫だろう。

 ただ,その中学校教師から見て,理解できないことが,

 小学校にはある。

 小中連携は,こういう「不可解現象」の解明から始めてみるのはどうだろう。

 自分を客観視できるチャンスになるかもしれない。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
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