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人の心を分かろうとしない人間の独善的「公理」

 カルロスさんはふれたくないということだが,

 ふれないわけにはいかない。

 勘違い人間を教育現場から一掃するためにも。


 「他人の心の中は決してわからないので,見える姿から想像するしかない」

 などと書いている人間がいる。

 この人間は,小説を読むことができるのだろうか?

 小説の世界を理解することができるのだろうか?

 こういうブログの世界で言葉を発信して,心を痛める人間がいることに,

 相手の姿は見えないから,自分は絶対に気づけない,

 という「大原則」「公理」に従って生きているのか?

 人の心というのは,だれかによって投げかけられた言葉によって,影響を受けるのである。

 それを,「見える姿から想像するしかない」

 「人の内面は分からない」と言っていては,

 ネット上の言葉のやりとりは当然のこと,

 日常的な社会生活は円滑にしようがない。

 本当に例に出して申し訳ないが,

 ほとんど視力を失ってしまっている方に対して,その「大原則」とやらを適用するつもりなのか?

 とんでもない話である。
 

 ******************

 小学生たちの,つぶらな瞳が目に浮かぶ。

 教師から,どんなにひどい言葉を浴びせかけられようが,

 決して教師の反感を買わないように,

 教師を怒らせないように,

 誤解される(=正しく理解されてしまう)態度を顔や態度に出さないように,

 じっと耐えている子どもがいることが分からないのか!!!

 「見える活動から想像するしかない」

 なんていう人間が教師をやっていたとは!

 ******************


 傷ついているように見えなくても,

 人が傷つくような言葉を投げかければ,

 相手は傷ついているかもしれないと考えることができるのが人間なのだ。

 
 人の心を軽々しく語る資格はない。

 「本当に死にたいと決心している人間」

 の心が分かるのか?

 分からないだろう?

 だって,「本当に死にたいと決心している人間は,死にたいというそぶりを見せない」

 なんてことを信じているのなら。

 第一,「本当に死にたいと決心している人間」は,

 「死ぬことを止められたら困る」のか???

 「困る」という心の状態を,「本当に死にたいと決心している」状態と言えるのか???

 自死については確かに多くを語ることは不適切だろうが,

 自死を選ぶ人間も,「本当は死にたくない」と考えている自分と闘っている,と私は解釈したい。

 亡くなる直前には,「死ぬんじゃなかった」と後悔してしまうものだ,と私は解釈したい。

 しかし,

 自死を選ぶ人には,その兆候は見られない,

 と語っている人間がいる。

 「死の兆候はなかったか」という問いに疑問を投げかけている。

 私は,そうは思わない。

 したがって,「死を選ぶに至る過程で,その兆候はなかったか」

 という問いは,発せられて当然のものだと考える。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より