例外中の例外を例に出して問題視する人の考え方
小学生だけでなく,中学生でも,人をたたくとき,
力の加減を知らない子がいますよね。
それと同じような「思考」の人がいます。
1万分の1のために,全部変えるのと,
2分の1のために,一部を変えるのとでは,
どちらの方が「変える意味」がありそうでしょう?
そういう発想が存在しない人がいるんですね。
実は,そういう発想の人は,大学や行政にもたくさんいるのです。
だから,「こういうこと」になってしまっている。
足踏みをさせてはならない,ですか。
小学校の場合,日本では幸いなことに,学校よりも充実した学習ができる場があるので,
小学校での「遅れ」を取り戻すことはできます。
・・・・・しかし・・・・・天才以外にも「足踏み」させられている子どもはとにかくたくさんいるのだから,
「それこそ」が問題なのであれば,何か提言してもらえないでしょうか・・・・?
おいしい思いができるのは,「天才」だけなのですか???
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