ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 教育ブログに紛れ込む化石の処理 | トップページ | 「指導したら必ず評価」では誤解を招く »

たまには正しいことも書く!

 その通り!

 指導力不足教員の学級の子どもが,全員「たいへんなことになる」

 ということはない!

 それなりの親によって,小学校に上がるまで,それなりの教育を受けた子どもは,

 自分自身で,ある程度の判断をすることができるです。

 授業参観で,教師は誤った字を書いていたが,

 子どもはノートに正しい字を書いていた,ということがある。

 教師というのは,子どもに自信をつけさせる「工夫」をしていることがあるのだ。

 昔,ある学級では,教員がその場にいないとき,何か起こったら,

 「学級委員の指示に従え」というのが教師の「命令」だったそうです。

 紹介の事例にあったように,

 もし「学級委員が指示を出せなかったら」どうするか?

 自分自身の判断で動くしかないわけです。

 学級委員が明らかに誤った指示を出したらどうするか?

 従わなくてよいわけです。

 どんなにひどい教員がいても,間違った行動をとる生徒がいても,

 子どもたちはそれなりに成長することができる。

 逆に,そういう人間の存在が,よりよく成長できるための「資源」の一つになっている,という面がある。

 「ああはなりたくない」

 「ああなってはいけない」

 「だから,こういうふうにしよう」

 かくして,「まともな人」はまともになれる。

 だから,社会全体としてひどい教員を排除するような動きは起こらない。

 人々は賢くて,指導力不足教員を排除するような動きを起こせば,

 教育現場がもっとひどい状態になることが分かっている。

 ・・・・・・

 こういう教育現場の情けなさを,何とか変えようと思っても,

 「たいへんな人」がいる限り,学校はそこに多くのエネルギーを費やさなければならなくなる。

 そう。

 学校現場の「疲労感」を高めているのは,

 仕事量の多さとか,生活指導の大変さとか,部活動指導にかかる時間の長さとかではない。

 「たいへんな人」の扱いが「消耗戦」になるのが原因なのである。

 
 正しいことを書くことがあることは認める!

 自己犠牲の精神は大事である。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 教育ブログに紛れ込む化石の処理 | トップページ | 「指導したら必ず評価」では誤解を招く »

教育」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

教育実習」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: たまには正しいことも書く!:

« 教育ブログに紛れ込む化石の処理 | トップページ | 「指導したら必ず評価」では誤解を招く »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より