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言語活動の指導を充実させた「成果」が見える「問題行動」

 自分の考えを堂々と言葉で説明する力。

 日本の子どもが不得意としている,と言われている力である。

 英語の方が,そういうことが言いやすい,というのは,

 ごく一部の人間だけで,

 日本語でも言えないことを,英語で言えるわけがない。

 昔から,

 「言い訳だけは超一流」という子どもがいる。

 問題行動の指導をしているときに,

 「どれだけ自分は悪くないか」

 を得々と述べる子どもがいる。

 同時に,対象の問題行動とは関係のない,

 「どれだけ他の生徒が悪いか」

 も得意気に語ってくれる子どもがいる。
 
 学習指導要領の改訂の趣旨にのっとって,

 「言語活動の充実」に力を入れている学校は多いだろう。

 小学校は,もともとそれに力を入れすぎて,

 基礎学力がかえっておそろかになっている,という問題が指摘されているが,

 「言語活動の充実」に力を入れることで,

 中学校でも「基礎学力不足」に拍車がかかる危険性もある。

 その一方で,上記に述べたような,

 「自分を正当化する演説が得意」な子どもが増えることも予想される。

 そこで,「道徳教育の充実」が求められる結果となるが,

 「道徳教育の充実」は,さらに上記と全く同じ結果に拍車をかける危険性も高い。

 教育ブログには,

 上記の子どもと同じような問題を抱えている人間がいる。

 「表現していることが正しいかどうかの判断・信頼性の高い評価」が教育でも社会でも大切であるのだが,

 それができるような時間をだれももっていない。

 ある能力を高めようとすると,

 本来は高まってほしくない能力も高まるリスクがある。

 このリスクをコントロールする機能を,少なくとも学校教育では充実すべきである。

 生活指導には,時間と根気と,

 「正しい指導」を続ける力がいる。

 本当は,学習指導にも,それが求められるのだが,

 それらをすべて放棄しているのが,手抜き用の「学び合い」である。

 これこそが学校教育から一掃しなければならない「問題行動」である。

 正しい「学び合い」は,教師の高度な指導力からしか生まれない。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より