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「否定する相手は心が病んでいるから無視しよう」では,学校の教師はつとまらない

 学校の教師をしていると,主には「思い込み」や「無知」,「そのときの機嫌の悪さ」が原因となって,

 教師の言動を強く否定してくる保護者に出会う。地域の方の場合もある。

 教師集団の中でも,確固たる信念をもって,相手を否定する場合もある。

 たとえば,式典での自分勝手な振る舞いである。

 教師と教師の関係の話は,ここでは置いておく。

 保護者対応というのは,とても大事なことであり,「教職実践演習」でも

○ 保護者や地域の関係者の意見・要望に耳を傾けるとともに、連携・協力しながら、課題に対処することができるか

 という具体的な「確認指標」にも入っている。

 保護者から否定的な言葉を投げかけられたとき,どうするか。しかも,匿名で。

 (匿名でも,多くの場合はだれの保護者かは分かることが多い)

 子どもが子どもに教える授業?なんてやめて,「まもとな先生の授業」をしてください!などの。

 そういうとき,教師は「保護者の心が病んでいる」と心の中で思ったとしても,

 それを表に出すことはない。

 中には,そもそも「心が病んでいる」なんて考えもしない人もいるだろう。

 私はこういうブログを書いているから,「保護者が正しい面もある」

 ことを想定して,対応にあたるようにしている。

 たとえが悪いかもしれないが,

 野球の試合が始まる前に,いきなり10点差がつけられている戦いに臨まなくてはならないような,

 そんな気持ちにさせられるときがある。

 しかも,相手のチームにはみんなホームランが打てそうな選手ばかりがそろっており,

 こちらのチームにはバットすらろくに振れない選手ばかりがいる。

 しかし,決して「望み」は捨てない,というのが,

 スポーツの世界の鉄則である。

 「敵前逃亡」の正しさを,ヨーロッパの軍隊は共通の認識でもっており,

 旧日本軍は「玉砕」を原則とした。お前は旧日本軍タイプか,なんて言われたら,

 「別に命を落とすわけではないから,それでもいいです」

 と返したい。

 できることを,一つ一つやるのみである。

 それも,子どもと一緒に。

 「子どもと一緒に」ができないところが,「大学」というところである。

 私は行政にいたから,

 そのころの多くの人間の印象を述べさせていただくと,

 教員養成にかかわることで,

 「大学には期待していない」ということである。

 最近,教員養成系大学に,元校長や教諭が再就職することが多いから,

 これはこれでいい傾向だとは思うが。

 しかし,「大学では」「大学だけでは」足りないのである。

 だから,行政の方で「養成」にまで手を出したわけである。

 教職基礎実践は,

 4年次後期に実施される。

 おそらく,10月から12月にかけてのことだろう。

 この時期に,「現場と連携する」ことの難しさを,立案者は想定に入れていたのであろうか。

 学生たちは,1日だけ,

 学校を見学に来る?

 調査に来る?

 それで,何がわかる?

 そのレポートを大学の教員が読んで,何がわかる? 

 また話が脱線してしまった。

 大学の教員は,うらやましい。

 「否定してくる人の話に,付き合っている暇はない」と言い切れるのだから。

 もちろん,それは正しい判断だと思う。

 しかし,現場の教員は,そういう話にきちんとした対応を見せることも,仕事のうちである。

 ある大学では,「保護者会」が開かれる,という話を耳にしたことがある。

 そのうち,大学の授業も,「保護者?向けの授業参観」が実施されるのだろうか。

 「外部評価」を受け入れて,経営の改善につとめてくれたりもするのだろうか?


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より