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誤解ではなかった ~指導力不足を他の教師のせいにする人間~

 また面倒くさいことに,誤解ではなかったことが分かった。
 
 飛び級制度の話だから,学校教育の話であることが分かった。

 しかも,小学校3年生と小学校6年生の能力を比べる,という具体的な話であった。

 そして,3年生の方が能力が高かったという。

 6年生の能力が低いのは,自分が受け持つ前の教師のせいだという。

 評価基準が書かれていないことが音楽らしいところであるが,

 こういう話は,音楽のような専科の教師に限らず,

 通常の学級担任をつとめる教師の口からも飛び出すことがある。

 「勉強を嫌いにしたのは,前の担任のせいである」

 「勉強ができないのは,前の担任のせいである」

 ・・・・・

 それは,確かなことかもしれない。

 そして,もう一つ確かなことは,

 「自分にも勉強を好きにさせたり,勉強ができるようにさせる能力がない」

 ということである。

 自分が1年間,指導した後の実技テストの結果は,小6の負け。
 
 これで,6年生の授業が成立しなかったことが分かった。

 4,5年生については書かれていないが,同じような話なのだろう。

 この教師の話が正しければ,

 まともな教師がいなければ,

 そもそも小学校に「音楽の授業は必要ない」

 とも言えるということである。

 「必要ない」というより,「害の方が大きい」と言った方がよいかもしれない。

 「害のあることをやっている」ために,やるべきことができないことの「害」は非常に大きい。

 この元教師は,音楽にはペーパーテストはないと言い切っている。

 音楽には表現だけで鑑賞の能力は必要ない,と言いたいのであろうか。

 学習指導要領が示す基本的な事項を無視した実践であると言える。

○ 音色,リズム,速度,旋律,強弱,音の重なりや和声の響き,音階や調,拍の流れやフレーズなどの音楽を特徴付けている要素

○ 反復,問いと答え,変化,音楽の縦と横の関係などの音楽の仕組み

 これを聴き取る能力がついたかどうかは,ペーパーテストではかることができる。

 また,

○ 音符,休符,記号や音楽にかかわる用語

 を理解しているかどうかも,同様である。

 集合の概念はあっても,自分から要素を排除しては意味がない。


 そして大事な話は,

 たとえ音楽の能力だけが高くても,

 その子どもを「飛び級」させることはない,ということである。

 「個性」だけが着目されるようなことについては,

 学校で習う必要は,全くない。


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    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
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