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感動の押し売りが好きな教師に道徳教育をさせてはならない

 道徳の時間は,子どもが最も「好きではない時間」の一つである。

 それは,

 「価値観の押し付け」
 
 「感動の押し売り」

 が常態化していることを如実に物語っている。

 水は低い方へ流れる。

 教育の世界も,

 簡単にできる指導法に,教師は飛びつく。

 簡単にできる指導法で,

 本当に導きたい方へ子どもを連れて行くようなことはできない。

 できると誤解している教師は,

 すでに「導く方向」を誤っているのである。


 専門教科の指導とは異なる

 道徳の時間の指導に,

 真面目な教師は四苦八苦している。

 その「四苦八苦」している姿を見せることこそが教育の価値に結びつくのに,

 「これでどうだ」

 とばかりの指導案を見ることがある。

 教育の仕事は,本当に長時間労働だし,内容は緊張をしいられるし,専門的な知識も必要だし,じっくりと時間をかけた子どもとのコミュニケーションも必要で,

 それだけ充実感が得られやすいとともに,

 教師の方が勝手に「感動」して喜べる仕事でもある。

 「心」の問題というのは,そうやって「勝手に感動している」ことが大切なのであって,

 「ここで相手を感動させよう」なんて思って指導するものではない。

 しかし,教師の中には,

 根っこから広告業や娯楽業の人間に変わってしまった人が出てくる。
 
 「上手くいったことに味をしめる」

 教師がすることは,

 外部から見れば,

 「感動の押し売り」である。

 そして,「感動しない方が悪い」「感動できる心が育っていない」などとくる。

 広告業や娯楽業のように,

 感情のコントロールの方法が

 洗練されていないために,

 「くささ」が際立つ。

 目標は,「感動させること」ではない。

 「感動」は,その先にある目標を見えなくする

 教育の世界の「悪魔」であることの自覚が教師にはほしい。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より