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同じ失敗を繰り返す人

 自分を客観視することができない人が,教員には多い。

「こんなことを書く人はおかしい」と書いている自分が,
 
 その「おかしい内容」を書いていることに気づけない。

 もともと,自分をきちんと客観視できない人が少なくないというのも事実だろうが,

 教員の場合は,自分を客観視できないために

 問題が発生してしまう可能性が,一般企業とは比較にならないくらい高い。

 それは,自分を十分に客観視できない子ども相手の仕事をしているからだ。

 教師と子どもとの間で起こるトラブルを見ていると,

 双方が「子どもレベル」であるように見えることが多い。

 教育という仕事に限った話ではないだろうが,

 あることを実現させるための方法が,

 AかBかしかない,ということはまずない。

 Aをするか,しないか,という単純なことではない。

 1か100か,ではなく,

 その間に,10とか20とか50とか80といった「選択肢」がある。

 問題行動を繰り返す子どもに,

 100%の行動を求め続けていくと,

 いつか子どもは「爆発」する。

 そのことが理解できない人がいる。

 そういう子育てしかできない親の子どもを学校で教えていて,

 その親と同じようなことを続けていては,

 子どもは「爆発」するか,

 学校に来なくなる。

 こういう「シナリオ」が予想できない人がいる。

 一般的には,

 「教師(の心)にゆとりがない」

 ことがもっともらしい理由として語られているが,

 断じてそういうことはない。

 人間の行動が,単に疲労や感情でコントロールできなくなる,

 と考えられているとしたら,

 子どもが毎日耐え続けていることが説明できまい。

 教師より子どもの方がはるかにつらい思いをしていることを,

 自分を客観視できない教師は理解しようとしないのだ。

 教師から「教育者としての誇り」を奪ったものは何か?

 それは,「甘え」に他ならない。

 「自覚の欠如」に他ならない。

 「誇り」や「理想」を喪失している人間に,

 人間としての「誇り」や「理想」を人に教える資格はない。

 こういうことを,現場で,同じ失敗を繰り返す人に,

 語り続けることも,教師としての責務である。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より