指導はできるが,指導力がない教師
教師はどうしても自分が児童生徒だったころの経験をもとに,
現在の教師や児童生徒を見てしまう傾向がある。
私は小中学校のころは,生活指導にとても厳しい教師たちに教わってきたので
(父親はさらに厳しかったが),それが今の感覚的な「基準」となっている。
初任者としてつとめていた中学校は,その経験と差がないか,どちらかといえば
「もっと厳しい」方に入る学校だったので,「基準」は引き上げられることになった。
しかし,次第に見えてくるようになったものがあった。
そういう「基準」とは2つの意味でほとんど正反対ともいえる小学校や中学校が,この世に存在することがわかってきたのである。
一つは,「厳しさのない学校」,もう一つは「厳しさの意味を取り違えている学校」である。
一般の方に限らず,教員も「厳しい」と聞くと,昔の言葉で表現すれば「管理教育」とか,「体罰を伴う指導」とか,「威圧的な指導」とかを思い浮かべてしまう人が多いだろうが,
「厳しい先生」というのは,「正しさを大切にする先生」というイメージでとらえてもらった方が分かりやすいだろう。
「力で押さえつける指導」は,小学校では通用しても,
中学校では子どもの反発を引き起こすわけである。
「荒れ」を防ぐつもりでやっても,さらに「荒れる」結果になりかねないのが,
「力で押さえつける指導」である。
「落ち着いたいい雰囲気の学校」をつくる「厳しい先生」のイメージが分からないのは,
実は現場の教師そのものだったりする。
「正しさを大切にする先生」は,
「正しくない言動や態度」を見逃さず,指導する。
そのとき,当然だが自分が「正しくない言動や態度」をとってはいけない。
何が「正しくない言動や態度」かは,
わざわざそれをブログ上で紹介してくれる人がいるので,
それをもとに何度も説明したことがある。
教育の難しさは,
「正しさを大切にする先生」でも,
児童生徒に正しさを自覚させ,言動を改善に向かわせることができる先生であるとは限らない,ということだ。
「正しくないことを正しいと誤解している先生」がそうなるのは当然だが,
「正しさを理解している先生」でも,
「指導はできる」が,「指導力があるわけではない」先生であるのが,それにあたる。
こういう意味で「指導力がある」という言葉は使う。
「指導力不足教員」といったときには,「指導はできる人」も含まれることがある。
もちろん,「指導すらできない人」もいる。
しかし,「指導すらできない人」は,問題行動を起こす生徒の側からは「無害」であるので,
生徒との衝突が起こらず,目に見える問題は発生しないため,
「問題がある先生」とは見えにくい。
「問題がある先生」と見られるのは,「指導ができる」先生であることが多いのだ。
そしてその「指導」が,「正しくない言動や態度」に基づくものである。
日本は,技術をもった国である。
高度な技術をもっている。
しかし,「技術力」をもっているか,と問われると,即座にイエスとは言いにくい。
だから,「技術力の向上」はもっと難しいことである。
簡単に「指導力の向上」という言葉を使うのを,教育の世界でもやめるべきかもしれない。
まずは「指導力をつける」ことを考えるのが先決である。
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