リーダーシップの誕生まで
リーダーを育てるノウハウ本はさまざまあるが,
学校教育に関するもので,そのことを中心テーマに据えたものは少ない。
横並び大好きの日本の教師には,ウケないテーマであることは間違いないだろう。
また,そもそもリーダーシップをとっていない日本の学校の教師たちが,
リーダーシップとは何か,
子どものリーダーシップをどう育てるか,などを語る習慣がないのも当然のことである。
リーダーは,自然発生的に生まれるものでもある。
学級委員的リーダーもいれば,
いじめのボス的なリーダーもいる。
子どもたちにとって非常にやっかいな存在が後者のリーダーである。
ここでは,中学校における「学級委員」と「生徒会役員」の中間・・・・つまり「学年」集団のリーダーシップの誕生に関することを書きとめておこうと思う。
小学校7年生が中学校1年生らしくなるとき・・・・それは,
教師への依存心が弱まるときである。
「自分たちで自分たちをコントロールしている」という実感は,
学年の集会を生徒たちに企画させると,それなりに得られることになる。
リーダーになるには,
リーダーっぽい仕事をこなし,「自立」している感覚を持たせて,
それなりの達成感を味わわせるだけでなく,
様々な「失敗」を経験させなければならない。
ここが大事なところである。
教師としては,本当のリーダーになれるかどうかを見定めるときがここである。
当たり前のことが当たり前にできるだけで満足するのではなく,
小さな問題に目が留まる余裕を持たせることが重要である。
学年の小さな問題が,「個人の問題」のままで終わってしまっては,
真のリーダーシップは生まれない。
「個人としての成功感,満足感」でストップさせる指導がなされがちだが,
教師としてはもう少しの辛抱である。
「私的な満足感」から「公的な満足感」へと「満足度」のシフトチェンジが
できる人間が,真のリーダーとなり得る。
生徒たちが相互依存の関係を築けたと実感したときが,
本当のリーダーシップが誕生するタイミングである。
教師にとって重要なのは,
このタイミングまで,いかに我慢できるか,である。
当然のことだが,だれでもリーダーになれるわけではない。
失敗もあり得る。
それでも,真のリーダーを育てるプロセスを大事にできる,
そういう指導方針を共有できる教師集団でありたい。
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