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ごめんなさい,先生 ~正しい反省文の書き方~

 中学校1年生を指導していると,

 小学校で問題行動が起こったとき,「反省文」を書かせる指導を教師がしていたのだと分かることがある。

 「反省文」を「書き慣れている」生徒がいるからである。

 そして,小学校の教師が「何を反省させていたのか」も分かる。

 「ごめんなさい,先生」という「態度」が反省文からよく伝わってくる生徒がいる。

 中学校の教師から見ると,それは「謝罪文」であって,「反省文」ではない。

 小学校の教師は,「謝罪文」のことを「反省文」として指導していたのである。

 「先生を怒らせてしまったことが悪いことであった」

 というのが,「反省文」からひしひしと伝わってくる。

 「中学校の先生に怒られるから,~はしてはいけませんよ」と言われた,と

 教えてくれた生徒もいる。

 「教養のない親」と同じレベルの教師である。

 「お父さんに怒られるから,やめなさい」という母親。

 「お母さんが怒るから,やめなさい」という父親。

 「お巡りさんに怒られるから,だめだと」という親。

 「隣のおじさんが怒るから,静かに」という親。

 こういう「指導」では,

 「正しいことは何か」が伝えられていない。

 子どもも,「何が間違っていたのか」が理解できていない。

 「先生を怒らせたこと」が「悪いこと」であり,

 「先生の機嫌をもどすこと」が「なすべきこと」なのである。

 こういう「反省になっていない反省文」を読むと,

 つくづく子どもが「気の毒」になる。

 小学校の国語か道徳では,

 ぜひとも「正しい反省文の書き方」「正しい反省のしかた」を

 指導してほしい。


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  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
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  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
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  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
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