ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« 【これが正解】 学習指導の失敗の本質とは? | トップページ | 例外中の例外を例に出して問題視する人の考え方 »

「理想の何々」に「正解」を求める人たち

 「理想のまち」づくり,

 「理想の学校」づくり,

 「理想の国」づくり・・・・・

 答えを出すのは,だれでしょう?

 正解はあるのでしょうか?

 あれ?

 だれかが言っていたことと同じになる?

 「子どもによって『理想の先生』は変わる」???

 それはそうなんですが,そういうことではないんですね。

 もちろん,「私は理想の先生です」なんて言う教師がいたら,

 裸の王様です。

 「理想の教師の十分条件」なんて,自分が説明もできないことを言いだして,

 書くことがなくなって知らんぷりをするような「大王」もいましたね。

 でも,「私には,具体的な理想の先生像がある」と言う教師がいたら,

 「どんな先生像ですか?」と聞いてみたくなりますね。

 3個がすぐに6個になる先生です。

 4個なら15個になります。


 「これこれこういう条件下に置かれている人たちのことも考えて」

 「こういう思いを抱いている人のことも考えて」

 自分の考えを見つめ直し,練り直す・・・・

 これが「国際的視野から・・・」の実践のねらいでした。

 当然,「国際的視野をもつってどういうこと?」という疑問から学習はスタートするわけです。

 実践事例の何時間か前の教師と生徒が置かれた状態です。

 そこに,さまざまな生徒が,さまざまな考えを持ってくる。

 地域から,学校に,さまざまな「考え」を「持ち帰ってくる」。

 地雷が埋まっている遠い国の話ではなく,

 自分たちが住んでいる地域にも,考えなければならない問題があることに気づく。

 あるいは,異なる文化で育った人たちのことを考えなければ,自分の提案はうまくいかないことに気づく。

 必ず,教師は,根拠を問う。ゲストにも,「なぜそう考えるのか」「そういうことが言える理由は何か」という決まり文句を「質問例」として紹介していました。

 「視野が広まる」という言葉に,いろいろな意味があることに気づける活動になります。
 
 「自分勝手なものの解釈は,人を傷つけることになる」ことにも,中学生は気づくことができました。

 全員に確認させるために,ポスターセッションだけでなく,パネルディスカッションの時間も用意しました。

 だれかさんにも参加していてほしかった場面がありました。

 私にとっては,ゲストのパフォーマンスは,期待を上回る結果となりました。

 生徒のパフォーマンスが,さらにそれを上回っていた事実は,私を叩きのめしました。

 特に,授業を担当していなかった当時の3年生の,本当の3年生らしさに初めて触れられた瞬間でした。

 学習指導は,常に,教師が生徒のことを何も分かっていなかったことが分かる場なのです。

 だから,日頃から,本質的な部分で教師は失敗を犯していると言えるのです。

 
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« 【これが正解】 学習指導の失敗の本質とは? | トップページ | 例外中の例外を例に出して問題視する人の考え方 »

教育」カテゴリの記事

学校選択制」カテゴリの記事

学習指導要領」カテゴリの記事

教育改革」カテゴリの記事

学習の評価」カテゴリの記事

ブログネタ」カテゴリの記事

学力向上」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

小中連携」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「理想の何々」に「正解」を求める人たち:

« 【これが正解】 学習指導の失敗の本質とは? | トップページ | 例外中の例外を例に出して問題視する人の考え方 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より