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やっと解けた誤解 ~学校の先生は相手ではなかった~

 新しい記事での本文中の「註」で,

 「教師」と呼んでいる人間の立場が,「学校の教師」ではないことが正式に(?)確認された。

 それで,学校の教師には何の役にも立たない記事ばかりであったことに納得がいった。

 今までの誤解に基づくこちらからの批判は,本当にお詫び申し上げたい。

 「学校音楽」の実践が全く示されていないことにも,ようやく納得がいった。

 私たち普通の学校の教師には,想像も及ばない,専門的な世界の話だったから,

 「そっちの頭がおかしい」という非難を浴びたのだと分かった。

 何度,「頭がおかしい」「国語力がない」などと言われたことか。

 別のブロガーは,「心が病んでいる」など言って非難している。

 教育ブログの村には,心の専門家がたくさんいるらしい。

 それにしても,

 学校の教師へのアドバイスなど,はじめから想定外だったことに気づけなかった。

 学校における「学力観」について全くの無知だったり,

 ごくわずかに見られた生活指導の事例が的外れの内容だった理由が分かった。

 「学校ごっこ」とか言って

 学校教育をバカにしていた理由もよく分かった。

 自分を弁護させてもらうと,中学校教育の村に在籍しているのが本当に紛らわしかった。

 
 一言,書かせていただくと,

 音楽の才能をもし見抜いてほしいという保護者がいたら,

 音楽の本場に行った方がよいと思う。

 
 ヨーロッパの音楽は,8畳程度の日本の狭い部屋で聴くものではないことくらい,

 素人でも分かる。


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コメント

誤解ではなかったことが分かってしまいました。

スピーカーの売り場で,お店の人とお客さんの会話をたまたま耳にしたことがありました。

お店の人の説明では,商品が売れなくなってしまう,と思ったのですが,どうしてもほしい人は,買ってしまうのですね。

誤解が解けて本当によかったですね。

本来のブログ記事に興味関心がありますので、今後に期待します。

今回の記事で気になった点が一点あります。
某ブログに対する謝罪記事でしょうから、最後の5行は不要だと思います。
叱られた生徒が謝罪をした後に、「でも、先生も(以下略)」と言うのと同じように見えてしまいます。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より