やっと解けた誤解 ~学校の先生は相手ではなかった~
新しい記事での本文中の「註」で,
「教師」と呼んでいる人間の立場が,「学校の教師」ではないことが正式に(?)確認された。
それで,学校の教師には何の役にも立たない記事ばかりであったことに納得がいった。
今までの誤解に基づくこちらからの批判は,本当にお詫び申し上げたい。
「学校音楽」の実践が全く示されていないことにも,ようやく納得がいった。
私たち普通の学校の教師には,想像も及ばない,専門的な世界の話だったから,
「そっちの頭がおかしい」という非難を浴びたのだと分かった。
何度,「頭がおかしい」「国語力がない」などと言われたことか。
別のブロガーは,「心が病んでいる」など言って非難している。
教育ブログの村には,心の専門家がたくさんいるらしい。
それにしても,
学校の教師へのアドバイスなど,はじめから想定外だったことに気づけなかった。
学校における「学力観」について全くの無知だったり,
ごくわずかに見られた生活指導の事例が的外れの内容だった理由が分かった。
「学校ごっこ」とか言って
学校教育をバカにしていた理由もよく分かった。
自分を弁護させてもらうと,中学校教育の村に在籍しているのが本当に紛らわしかった。
一言,書かせていただくと,
音楽の才能をもし見抜いてほしいという保護者がいたら,
音楽の本場に行った方がよいと思う。
ヨーロッパの音楽は,8畳程度の日本の狭い部屋で聴くものではないことくらい,
素人でも分かる。
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コメント
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誤解ではなかったことが分かってしまいました。
スピーカーの売り場で,お店の人とお客さんの会話をたまたま耳にしたことがありました。
お店の人の説明では,商品が売れなくなってしまう,と思ったのですが,どうしてもほしい人は,買ってしまうのですね。
投稿: kurazoh | 2013/05/04 08:53
誤解が解けて本当によかったですね。
本来のブログ記事に興味関心がありますので、今後に期待します。
今回の記事で気になった点が一点あります。
某ブログに対する謝罪記事でしょうから、最後の5行は不要だと思います。
叱られた生徒が謝罪をした後に、「でも、先生も(以下略)」と言うのと同じように見えてしまいます。
投稿: tug_boat_ | 2013/05/03 21:39