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繰り返される問題の根は教師の「人間観」にあり

 このブログも,ときどき休止期間があったが,

 これで通算2600個目の記事になった。

 ココログの管理ページで私がよく利用するのは,

 「アクセス解析」で,

 「どんな記事が今日,読まれたか」に関心を持っている。

 読んでいただいた記事を自分も読み返してみて,

 「ああ,こんなこともあったな」と懐かしくなることもあった。

 先日は,調布市の「暴言教師」のことを話題にしたが,

 とんでもない「暴言教師」を批判した記事をまた読み返してみた。

 調布市の「暴言教師」と同じ「仲間」がそこにいた。

 しかも,その「暴言教師」は,

 「指導に悩んでいる教師に,具体的な指導法を教える」

 目的でブログを書いている元教師なのである。

 去年の6月の記事である。

 ここに引用しておく。

******************

 新作!dXXXXさんの「私語撃退法」と「事実誤認」

 またまた,大事な指導事例をご披露していただきました。

 子どもの「心」との乖離が分かっていない,dXXXXさんの指導法。

 dXXXXさんは,人間を「ロボット扱い」するのが好きな方のようです。

>ロボットは知能を授けられ、どんどん進化して人間に近づくのに、
 人間の方は逆にただの機械のようになっていないか

 という問いかけの後に,紹介されている「指導言」がすごい。

>中学校で授業をしていた時、私語の多い生徒がいたので注意しました。
>すると、その生徒は、小さな声で「喋って悪いのか」とボソッと言いました。

>彼は聞こえないように言ったつもりかも知れませんが、私には聞こえました。
>それで、私は

>「君、そりゃあ、喋るなという命令はできないよ。しかしね、人間は知能という
 ものを持っているから、この場では喋っていいのか悪いのか判断できるんだよ。
 それが人間なんだ」

>と言いました。

>その生徒は、不機嫌な顔をしながらも静かになりました。
>他の生徒たちも納得したような様子でした。


 生徒たちが「納得」したのは,dXXXXさんが「ひどいことを言う人」だからでは
ないのですか???

 何しろ,

 授業中の「私語」が「知能の欠陥」によるものであると指摘されてしまったわけ
ですからね。

 もしこの後,再び私語をしたら,

 「知能を持っていない,つまり,この場で喋っていいのか悪いのか判断
できない」生き物だと呼ばれ,

 下手をしたら「人間ではない」などと呼ばれかねないことを子どもたちは
知ってしまったのですね。

 子どもは,「頭のおかしい人が通う病院」という言葉を平気で使えるような
人間かどうか,簡単に察知できてしまうのですよ。

 私語が多くなるような授業をしている教師に,「おまえは知能に問題が
ある」なんていう注意をされたくないから,「私語を我慢した」だけで,何の
問題の解決にもなっていないことに,気づけない教師はいるでしょうか?

 そうそう,そういう教師がいるから,このブログを書いて注意を喚起して
いるのでした。

 dXXXXさんには残念ながら,指導に必要な感性が欠けているのですね。

 私から見れば,自分のまずい授業を棚上げして,「こういう注意の仕方は
ないだろう」と受け止める生徒を想像することができないのは,重要なもの
が「足りない」からとしか考えられません。

 「うそ」はいけないのですが,「これが正しい注意だ」と誤解して,

 私語をする生徒に対して「知能に課題がある」と指摘したように聞こえる
指導ができてしまうような教師は,いさめなければなりません。

 音楽の教師のやり方がこうだというなら,音楽の教師を相手に話をしな
ければなりません。

 実は今まで,dXXXXさんによる中学校での授業実践の話は読んだこと
がありませんでした。

 最初の話が,「私語が多い生徒への指導法」だったのですね。

 そして,「やっぱりね」というのが第一印象でした。


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より