ウェブページ

最近のトラックバック

本の検索・注文


  • サーチする:
    Amazon.co.jp のロゴ

« リーダーシップの誕生まで | トップページ | リーダーに求められる「習慣」 »

リーダーシップの誕生を阻むもの

 都市部だけの問題ではないと思われるが,

 中学校で生徒が学級委員を務めたい,というとき,保護者が反対する場合がある。

 私が勤務していた学校でも,中学校3年生である生徒が学級委員に立候補し,任命された後に,

 保護者が担任に激しく抗議したことがあった。

 「なぜ家で子どもと話さないのか?」

 と普通の人は思うだろうが,ここでは深入りしない。

 保護者としては,

 「進学のための勉強の支障になる」

 ことを第一の理由として,放課後の仕事が多い学級委員をやめさせてほしい,

 と訴えたのだ。

 結局,学級委員は務めることになったが,

 生徒会役員も,何か「犠牲者」的な香りがする学校というのがあるのだろう。

 保護者としては,PTA役員になるのと同じような感覚があるのかもしれない。

 これが,

 生徒による自治が中途半端な学校なら,

 保護者の言うとおり,という場合がある。

 しかし,私が勤務した学校では,生徒にすべて「それなり」の経験をさせることができた。

 リーダーシップの誕生を阻んでいるのは,実は保護者ではなく,

 学校の教師である,という面があることを忘れてはならない。

 中学校というところは,

 分掌の結束よりも,学年の結束の方が強い。

 だから,「主幹」が担う生活指導主任や教務主任,進路指導主任は,

 実は「だれでも」勤まる。

 教務主任ですら。

 しかし,いい仕事ができる「学年主任」は,だれにでもつとまる,というものではない。

 学校によっては,単純に「年齢」によって決まるが,

 中学校の「学年経営」は,「学校経営」に匹敵するほど,実は重要なのである。

 小学校の「学級カラー」と同様に,

 中学校には「学年カラー」というのが存在する。

 それは,学年主任をリーダーとした学年の教師集団によって「染められる」ものである。

 この教師集団が,学年主任の「個性」によって,

 リーダーを育てるのが好きな学年や,

 教師がリーダーのままで終わる学年を

 つくり出す。

 中学生は,教師に対する反発心も大きいが,

 実は案外,教師の指導に従順なところもみせる。

 これは小学校のように教師が評価の担い手である,というのが理由ではなく,

 小学校とは違って複数の教師に接することができるために,

 「人によって異なる接し方をする」傾向があるための現象である。

 「こわい先生」には従い,「やさしい先生」には反発する,という単純なものではない。

 教師集団としては,リーダーを育てるのは,非常に面倒くさいことである。

 教師がやればすむことを,生徒にやらせて失敗させることを繰り返し,

 ときに励まし,ときに怒り,一歩一歩,真のリーダーに近づける指導というのは,

 とても根気と労力がいるものである。

 大事な行事が,大失敗に終わってしまう後味の悪さを教師と生徒が共有することがある。

 
 だから,「全部教師がやってしまおう」というのが一番簡単な仕事術である。

 こういう選択肢をとる学校では,生徒のリーダーが育たない。

 同じ学校の中で,リーダーが育つ年と育たない年があるのは,

 中学校の教師の責任である。

 「小学校が・・・」というのは,リーダーを育てる仕事,という観点から見ると,単なる「言い訳」に過ぎない。

 「組織」にとって,「価値観が共有できない」という問題が,どんな結果を生むか,

 今の政治の世界を見れば,分かりやすいだろう。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 教育ブログへにほんブログ村 教育ブログ 教師教育・教員養成へにほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

« リーダーシップの誕生まで | トップページ | リーダーに求められる「習慣」 »

教育」カテゴリの記事

リーダーシップ」カテゴリの記事

教職教育」カテゴリの記事

仕事術」カテゴリの記事

教師の逆コンピテンシー」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: リーダーシップの誕生を阻むもの:

« リーダーシップの誕生まで | トップページ | リーダーに求められる「習慣」 »

2021年11月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ

宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より