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必要条件と十分条件を正しく理解しよう!

 数学で用いられる

 「必要条件」と「十分条件」の意味を正しく理解しましょう。

 話し合いの基本は用語を正しく理解することから始まります。

 自分勝手な使い方をして,相手が間違っている,と主張するのはいけないことです。

 「AならばBである」が正しいとき,

 AはBであるための十分条件,

 BはAであるための必要条件といいます。

 「採用試験に受かった先生は,理想の先生である」は,正しくありませんね。

 反例は現実に存在しますから。

 考える意味がない命題になりますが,

 「理想の先生は,採用試験に受かった先生である」がもし常に正しければ,

 A(理想の先生)は,B(採用試験に受かった先生)であるための十分条件で,

 B(採用試験に受かった先生)であることは,A(理想の先生)であるための必要条件です。

 A(理想の先生)であるためには,少なくともB(採用試験に受かった先生)である必要があります。

 必要条件とは,ある物事が成り立つために必要な条件を指し,

 十分条件とは,ある物事が成り立つために十分な条件を指します。

 「教師ならば人間である」の場合,

 教師は人間であるための十分条件です,というのは,

 人間は教師であるための必要条件です,というのより,理解しにくいかもしれませんね。 

 この「十分条件」の意味を勝手に解釈されてしまうと,議論がかみ合いません。

 
 実はそれどころではなく,

 「理想の先生は,採用試験に受かった先生である」という「命題」にも,反例があるのです。

 長年,教員養成にたずさわってきた大学の先生が,

 小学校で「理想の授業」をしてしまったら・・・。

 「こんないい授業を毎回してくれる先生がいたら,理想的なのに・・・」

 アルバイトの学生が,不登校生徒に寄り添って,学校で学ぶより多くのことを学ばせてしまったら・・・。

 「先生にこういう学生のような力があったら,不登校にはならなかったのに・・・」

 こういった話は,そもそも,

 まず「理想の先生」とは何かが定義されていなければならないのですね。

 もし何か一つでも問題がある先生を「理想の先生」とは呼ばないとすれば,

 「理想の先生」はそもそも存在するのか・・・つまり,何の問題もない先生はいるのか?

 という疑問ばかりが頭に思い浮かんでしまいます。

 
 論理の勉強って・・・・おもしろいですかね・・・・。


 採用試験には受からず,非常勤講師として学校で活躍している人がたくさんいます。

 「理想の先生」の卵もたくさんいるのです。

 一発で採用されて,大学卒業後すぐに教師になった人よりも,

 教材研究がたくさんできるという強みが非常勤講師の方々にはあります。

 指導力のない,ただ年をとっただけの,元気とやる気を失って休職目前の教師より,

 教え方がうまくて,子どもたちに人気のある非常勤講師がいる学校はゼロですか?


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より