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デジタル機器の故障はなおせるか?

 放置されてしまっている問題がある。
 
 相手が「問題」だと認識してくれないのがその原因である。

 現在のところ,黙殺されてしまっているのが,以下のコメントである。

********************

 「間違いが訂正できる人に」で,

>企業の、お客さん対応部門でも、先生が嫌われるのは一度言い出したことを訂正しないという理由です。
先生は概して、プライドが高いと思われがちですから、お世辞をタラタラ言われますが、いい気になって上から目線はよくないと思います。

>あの有名なカラヤン氏でさえも振り間違えたことがあります。

>間違いを訂正すること謝ることは、むしろ尊敬される方になると思います。

 とありました。

 間違いを訂正しない人は,要はプライドが高い人なんでしょうね。その人に,「カラヤン氏も間違える」なんていっても,効き目はないと思いますよ。

 なぜなら,「間違い」を気にしているのではなく,「間違いを認めることで低く見られるかもしれないこと」を気にするのですから。

 「カラヤン氏も間違える」というお話しがもし,

 「間違えたらこわいから,演奏できない」なんていう人を励ますために使うのであれば,理解できるのですけれど。

*********************

 あるいは,「カラヤン氏でさえも間違えたら謝った」なら,わかる。

 「弘法も筆の誤り」を,「間違えたら謝るべきだ」という話の中で使っているのは,当のご本人なのだ。

 デジタル機器にも誤作動がある。

 上の事例のような単純なプログラムミスが原因のものもあろうが,

 「想定外」のことに対応できないのが原因である場合もある。

 「間違いを指摘される」のが,「想定外」のことなのだろう。

 教師は,そういう機会が少ない職業の一つである。

 

 人間は,とても不思議な生き物である。

 他人の視野が狭いのはよく見えるのだが,

 自分の視野が狭いのは認識できない。

 
 他人に「いけませんよ」と注意を促していることを,その場で自分がしてしまっていることに気づけない人がいる。

 
 私は,そういうタイプの人を学校現場でたくさん見てきた。

 なぜか教師に多いタイプなのである。


 どこかでプログラムが誤っているため,修正がきかない。

 自分で自分のプログラムを書き換える知能をもったプログラムは存在するのだろうか?


 それでも,教師がつとまっている人がいる。

 教師というのは,「いけないこと」を子どもに注意できればつとまる仕事なのだろうか?

 たとえ,自分が「いけないこと」をしていても。

 
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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より