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自分のことが「読みとれない」人

 人はひたすら,自分にないものを語りたがる。

 人は,「自分のこと」を知ることを最も恐れる動物である。

 「恐れている」という意識はない。

 「本当の自分を知ることが怖い」というのは無意識の世界の話である。

 ただ,人間がそういう生き物であるということを知ってしまうと,

 話は変わってくる。

 自分の主張はこうであり,

 相手は別の読み方をしている。

 その食い違いはどこから来るのか。

 食い違いの原因を全面的に相手に求めるタイプの人間が,

 中学生には必ずいる。

 大人にもいる。

 それに気づけるかどうかは,

 「相手が間違っている」

 という「自分の意見」を言う前に,

 「食い違い」と感じている具体的な内容を示して,

 それが本当に「食い違い」かどうかを
 
 第三者に判断してもらうのがよい。

 それが本能的に「怖い」と感じてしまう

 (自分は「怖い」と感じているという意識はない)

 のが人間らしいところである。

 だから具体的に

 何のどの点が問題か,ということにふれないで

 ただ,だれかを批判している人がいるのも,納得できる。
 


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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より