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成功事例?から失敗の本質を考える

 このブログは,基本的に「実践事例」は載せないことにしているが,

 今日は一つだけ,「総合的な学習の時間」の活動の「評価」を紹介したい。

 この実践のどこが「失敗」だったかを考えていただく材料にしてほしい。

 「理想のまちを国際的視野から考える」というのが2時間の活動のテーマで,

 多くのゲストをお招きしていた。中には,元内閣総理大臣の御嬢さんもいた。

 地域のサークルで日本語を勉強している外国人の方もいた。

 ポスターセッションやパネルディスカッションを実施した。

 以下の文は,当日参加していただいた地域の方(この文章で,都立高校の先生だったことが分かった)の「評価」から抜粋したものである。

**************************

○ 外国人講師も日本語で自国のことを得々と説明すれば聞く生徒もそれに対応し,更に質問は列をなして,矢継ぎ早にそしてメモをとる,てきぱきとひたむきなこの態度,真摯というべき,久しぶりで嬉しかった。

○ 自分担当の事項については自信をもって発表している。または書いたものを時々見ながら説明していた。ポイントをつかんでよくぞまとめたと賛辞を送る。少々足りないところは,多分次の機会に深められるであろうから。

○ グループ代表がそれぞれ要点をまとめて発表し,余りにも核心をつかんでいるので驚く,日常どのように取り組んでいるのかの質問に対しては,現在自分たち中学生にできることを述べたのには大きな拍手を贈りたい。身についた取り組みをしている結果といえよう。

○ 約二時間にわたる体育館内での活動態度,賞賛に値する(私語なく床に腰をおろし,よく聞いている)。私は都立高校に長年いましたが,こんな素晴らしい中学生を受け入れて高校がダメにしたのではないかと恥ずかしく思った。

○ 学習の基本方針をどのようにして打ち出したのか,指導計画と実施そして評価,○○中の宝を見せられたようだった。

○ 研究集録を見て,ひとりひとりの個性と成果がよくみられる,文章表現も非の打ちどころがない,パソコン・インターネットの利用がよくなされている。

**************************

 これをただの成功事例として読んだだけでは,教育を創造することはできない。


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コメント

基本的な事ですが、学習の目的や目標、生徒が何を学ぶのか、そして授業でその目標にどういう形で近づける事ができたのか、そういう観点が完全に欠落し、その場の雰囲気(空気)が良かったと言っているだけの授業をやった、生徒が得た物は何だったのか全く解らない。
 おそらく総合学習を何でもいいから、その場を雰囲気良く過ごせばいいよと思っているようで、これでは教育ではないですね。確信をつかんでいるようで云々の部分ですが、そこを分析してほしいですよ。生徒たちに何を与えたらいいのか、解らないまま適当に進んで、結局多くの生徒は得る物がない、まあ楽しく過ごしたという思い出作りにはなるでしょうけれど。
 教える側が全く目標も目的も曖昧なまま授業をやっている姿が目に浮かびます。教育者としての自覚がないから、こういう無駄な授業で成果も何もないで卒業させることになるのです。
理想の町という課題に対して、生徒がどういう分析をしたのか教える側が全く着目していない、おそらくどうでもいいと思っている、対比的な現実の町がどうなのかどういう分析をしたのか、全く気にしていない、これでは学習ではないですね。
 もし、これが医者だったらどうですか、その場の雰囲気が良ければ、いいかげんな病名つけて明後日の投薬をする(例えば鬱病でないのに抗うつ剤を処方、鬱病とよく似た症状の病気はたくさんあります)。患者がこの薬効きませんといったら、診察を受けたとき雰囲気良かったじゃないですか????効かないのならもっと量を増やせばいいんです。???
こういう鬱病治療の現実とよく似た授業の進め方とよく似ています。

授業をしたという既成事実を作るだけでは、教育ではないといえるのではないでしょうか。
生徒をよく観察し、分析する、その上でなにを教えるのか考える。
これは必要なことです。

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宮城谷昌光の言葉

  • 雲のうえに頂をもつ高山を登ろうとするのに、その山相のすさまじさに圧倒され、おじけづいていては何もはじまらない。最初の一歩を踏み出さねば、山頂は近づいてこない。
    「楽毅」第四巻より
  • みごとなものだ。斂(おさ)めるところは斂め、棄てるところは棄てている。楽氏が棄てたところに、われわれの生きる道がある。
    「楽毅」第四巻より
  • 去ってゆく千里の馬を追っても、とても追いつかぬぞ。千里の馬の尾をつかむには、その脚が停まったときしかない
    「楽毅」第四巻より
  • ・・・つくづく人のふしぎさを感じた。道を歩く者は、足もとの石をたしかめようとしないということである。千里のかなたを照らす宝石がころがっていても、気がつかない。それほどの名宝は深山幽谷に踏みこまなければ得られないとおもいこんでいる。
    「楽毅」第三巻より
  • この城をもっとたやすく落とすべきであった。たやすく得たものは、たやすく手放せる。
    「楽毅」第二巻より
  • なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。
    「楽毅」第二巻より
  • からだで、皮膚で、感じるところに自身をおくことをせず、頭で判断したことに自身を縛りつけておくのは、賢明ではなく、むしろ怠慢なのではないか
    「楽毅」第二巻より
  • こうする、ああする、といちいち目的と行動とを配下におしえつづけてゆけば、配下はただ命令を待つだけで、思考をしなくなる。この四人はいつなんどき多数の兵を指揮することになるかもしれず、そのときにそなえて自立した思考力をもつ必要がある。
    「楽毅」第二巻より
  • 人は自分の存在を最小にすることによって最大を得ることができる
    「楽毅」第三巻より
  • 勇と智とをあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときより、なにもなさないときに、その良質をあらわす
    「楽毅」第二巻より